2026.04.20
タマシイ
-197-
本日もあけました!
「タツキ先生は甘すぎる!」の第2回放送を観ました。
今回、学校に行けない子どもたちの居場所・フリースクール「ユカナイ」に訪れたのは、小学5年生・杉谷朔玖(演じる高木波瑠さん)。勉強も運動も好きで得意。友達も多くトラブルがあるわけでもないのに登校しなくなったのは、本人曰く「学校がダルい」から。そんな朔玖が、実は”歴史オタク”の一面も持っていることがわかりますが、タツキ(演じる町田啓太さん)には「内緒」と釘を刺します。
やがて、朔玖が学校に行けなくなったのは、運動会のダンスが苦手で全体練習を徐々に避けるようになったためだということが判明します。どうやら、自分は「万能」であり、周りからもそう思われているという自覚から完璧主義になっているようで、度々タツキとの会話で口を衝いて出る言い分は「そういうキャラじゃない」。
「ダンスの全体練習、逃げたければ逃げれば良い」とタツキが言ってくれても、「そういうキャラじゃない。なんでもできて強くなきゃいけない」「今更、ダンスできないって言えるキャラじゃない」と頑なです。
「なんでもできる」と思われているし、イメージに合わない”歴史オタク”も口外できない。”キャラ”から外れることはできないし見せられない、といつの間にか周り以上に自分で自分自身を固くきつく縛り付けているのです。
実際、私もこれまで不登校生の親子数組からお話を聞かせていただいたことがあるのですが、似たようなエピソードを何度か耳にしました。私が思うに「キャラの正体」は、言い換えると周りの「期待」や「決めつけ」、時に自分の「思い込み」も含めてではないかということです。周りからそう思われているという重圧。期待に応えなければいけない、あるいは決めつけられたことによって殻に閉じこもり本当の自分を出せなくなってしまうのは、必ずしも劣等感の強い子に限らず、優等生こそ先生や親、友達などから寄せられる”当然”の期待値から「外せない」というがんじがらめの息苦しさで辛くなってしまうことが往々にしてあるのです。
他人がよく口にする「意外!」って、その人の単なる色眼鏡や知っている一側面だけによる断定、勝手な願望に過ぎないのに、そういう視線や評価を気にして、本来多面的な魅力や特性があるにもかかわらず、それらを自ら押し殺したり、外圧で押し殺さざるを得なかったりするうち、自分自身でもその”偶像化”に拍車をかけてしまうのは本当によろしくない状態だと思います。
「魂」というものは目に見えないので、その響きからはどこかスピリチュアルな印象が強く感じられると思いますが、目に見える「身体」とは異なるだけでなく、目に見える「言動」さえ必ずしも実際の「心」や「頭の中」を表しているとは限らない。むしろその逆のことだってあり、もっと言えば本人さえ本当のところをわかっていない、気づいていないことだってあるでしょう。論理では説明しきれない、その人を衝き動かす原動力のようなもの。それが「三つ子の魂」と称されるような生まれ持った独自性なのではないかと思うのです。
人に比べて得意な突出した力を秀でさせることも素晴らしいことですが、秘めた埋もれた力を日出でさせることはもっと大事だと思うのです。「好きこそものの上手なれ」でも「下手の横好き」でも構わない。本当に大切なのは、上手いか下手かよりも、理屈を超える純粋な「好き」「やりたい」という高い温度を帯びた魂の力です。それは人と比べられるものではなく、自分の中で大事にし続ける先に、必ずや自分らしい、たくましい力となって現れてくるはずです。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!
