2026.08.17
プレイ
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少し前に、”ノルマ”の由来の話を取り上げました。その中で、”そのような悲惨な歴史に結びついている言葉を平然と使っている社会は、無意識レベルで受け継がれている精神性のような悪しき慣習として、日本の「文化」に昇華してしまっているのではないか”といった主旨の危惧を述べました。
先週、8月15日の「終戦の日」を迎えたこのタイミングに、そのような観点の、個人的に以前からなんとなく感じていた違和感のある言葉などについて、いくつか触れてみたいと思います。
まず今回は、上述の「終戦の日」に纏わる表現です。メディアをはじめ、学校や日常生活において”終戦記念日”という表現でも耳にすることが多いですね。ですが、実際にはその日をもって戦争が完全に終結したわけではありません。情報が届かずに、あるいは情報を信じず、戦争が終わったことを認識・受容しないまま引き続き命を落としていった兵士などの存在があったのです。ですから、1945年8月15日正午に終戦の「玉音放送」が行われたとて、その瞬間をもって終止符が打たれてピタリと完全停止に至ったかと言えば、当然そうはなっていません。あくまで後世の我々が象徴的な歴史の転換点として認識はしているものの、当時の実態は、依然として戦闘の続いていた戦地が少なからずあったわけです。
そう考えると、もう少し適当な言い回しがないかと思ってしまいます。
▼厚生労働省のHPより抜粋
昭和57年4月13日に閣議決定された「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について」において、毎年8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としています。
この日、日本武道館(東京都千代田区)で、政府主催の「全国戦没者追悼式」を行います。この式典は、今日の私たちが享受している平和と繁栄の陰に、先の大戦で祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた約310万人の方々の尊い犠牲があったことをしのび、全国民が深く追悼の誠を捧げるとともに、国際平和の確立への誓いを新たにしようとするものです。
(中略)
本式典においては、正午に参列者全員で1分間の黙とうを捧げることとしています。
皆さまも、ご家庭や職場などそれぞれの場所で、この式典に合わせて戦没者をしのび、心から黙とうを捧げられるようお願いします。
敗戦で戦争が終わったピリオドというよりも、戦没者や遺族などへの哀悼とともに、これからの永続的な平和への願いを込めた「祈念日」の方が本質的であるように思うのです。風化しないために「記念日」として頭と心に記憶を刻むだけでなく、「祈念日」として思いを馳せて行動につなげていくことが大切だと思います。
ひとりひとりの「pray(祈る)」と「play(行動する)」で、人類が最も得難い平和の”あけがた”をあけていきましょう。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!
