2025.10.08

タイヨウ

-72-

本日もあけました!

月の満ち欠けのことを書いていたら、自然とねこが思い浮かんできました。刻々と変化する、ねこの目と月。もしかしたら、両者は親戚関係にあるのではないか? なんてことを考え出すと面白くなってきました。

ねこの目は一日の中で太陽の光の量に応じて瞳孔の形が大きく変化し、月は太陽の光の当たる位置によって見え方が変化します。つまり、どちらも太陽の動きの表れであり、太陽の位置を教えてくれる伝達者として、人間にとって時計や暦の役割を担うような大切な存在になっています。

古代の人は、ねこの瞳孔の変化に月を感じていたという話や月の満ち欠けは地球上の生物のバイオリズムに影響を与えるという話がありますが、それは元を辿れば太陽のチカラによるものであることが忘れ去られねこや月のチカラが独り歩きして語られるようになってしまったからではないでしょうか。

当然ながら、ねこは自ら時刻を表すために瞳孔を開閉させているわけではなく、月も自らカレンダーとなるべく発光しているわけではありません。あくまで太陽の写し鏡として、その影響が変化として表れているだけにも関わらず、いつしか人間は、ねこや月そのものに不思議な力を感じるようになったのはなぜなのか。

確かにねこも月もどこか神秘的な力を感じさせます。それはきっと、一定ではない変化に富む姿が美しく、得も言われぬ魅惑の力を纏っているように見えるからではないかと思うのです。

人間は安定を求める生き物であるにもかかわらず、不安定なものにどこか惹かれている、ある種の憧れのようなものがあるのではないか。だから、その象徴的存在に映る、ねこや月に魅力を感じているのではないか。でも、もしかすると、ねこや月は「不安定さに畏れを抱くのではなく、心のままに不安定さを楽しんだら良い」というメッセージを本当は投げかけ続けてくれているんじゃないか、なんて見方をしてみると人間の挑戦を後押しする応援団のように思えてきました。

安定などというものは、ただの幻想に過ぎないことを日々人間に示してくれている、ねこと月。太陽との位置関係を伝える以上に、あるべき人間の態様を提言してくれる、本質を突くメッセンジャーではないかと思えてきました。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!