2025.10.03
ベージュ
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本日もあけました!
昨日、散歩に出かけた際の光景でした。その自然豊かな公園には、水路や池、古民家に水田まであり、コイ・メダカ・アメンボ・ザリガニ・カナブン・カブトムシなどの生き物がたくさん生息しており、時にはコサギがドジョウをついばみにくる姿を見ることもできます。
そんな昔ながらの農村風景を彩る風物詩のひとつに、毎年行われる稲作があります。近隣の保育園や小学生達による田植えや稲刈りが、東京中央農協の協力のもと行われているそうですが、本日その光景を目にすることができたのです。と言っても、すでに収穫後。刈り取られた稲の根元の方を上にして、二股に分けた穂を下向きに天日干しされている状態でした。
そこでふと思ったのです。二股に分かれた稲穂は「人」という字のようであり、また末広がりの「八」のようにも見える気がしたのです。「米」という字は「八十八」が元になっているという説がありますが、もしかして関係があるのか否か、例によって”説”を探ってみました。
最も有名なのは「お米を育て収穫するまでに八十八回の手間をかける」説です。「八十八」と聞くと数が多いことを表す際によく使われる「八」を重ねているのだろうと思いがちですが、実際にお米を作るのには大変な工程と苦労があります。「苗づくり」「田おこし」「代掻き(しろかき)」「田植え」「田んぼの手入れ(草取り・水の管理・肥料・防除)」「稲刈り」「脱穀」「乾燥」「籾摺り(もみすり)」と大まかな工程を挙げるだけでも、かなりの手間暇がかかることが改めてわかります。これを日々の天気も見ながら長期にわたって行う作業は、確かに「八十八」にもおよぶでしょう。「だけど、昔よりは機械化も進んで、はるかに減ったでしょ?」という至極冷静な指摘もあるでしょうが、昨今「100年に1度の~」と幾度も耳にする異常気象など、一筋縄ではいかぬ自然相手に常に気も体力も使う毎日で、今でも手間と苦労が絶えないのは間違いないでしょう。
ほかには、立夏の少し前にあたる「八十八夜」は農作業において非常に重要な時期であり、作物が大きく成長する晩春のこの時期に霜が降りると大きな影響があることに関係する説です。「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の霜別れ」と言われるように、この霜以降は霜が降らなくなるという目安にて、古くより茶摘みや種まき、田植えなどの農作業をはじめる時期に適しているということです。
冒頭の疑問のような、稲穂を干している形が「八」に見えるという説は見当たりませんでしたが、今日見た稲穂の”刈られる前の姿”をふと思い出しました。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
最近、散歩の道中で”実るほどにその重さで自然と穂先を垂れていた”光景を目にした際、この言葉が頭をよぎったのです。黄金色に輝く豊かな実りの粒が重そうに地面へ向かって傾く佇まいから、凛とした無言の説得力を感じました。人間へのある種の戒めとして「学徳が深まると、かえって他人に対してますます謙虚になること」の意味がひしひしと伝わってきました。
徳を積むには、知識や教養だけでない多くの経験が必要であり、結果として長く生きた先に本当の意味で身についてくるものという、時間も大いに関係する面があると思います。そんな長寿のお祝いのひとつに、それこそ「八十八歳」の「米寿」があります。それだけ長い年月を重ねた人生には、風雪を耐えたことも相応にあったでしょうから「金メダル」級のお祝いをしてあげたいものです。
金メダルに相応しい稲穂の黄金色にあやかった「米寿」なんて勝手な解釈を重ねていたら…あれ?英語だと「ベージュ色」! だから「米寿」なのか! と勝手に腑に落ちた一日でした。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!