2025.10.01

半期

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10月もあけました!

さて、弊社事にはなりますが、旦(あけがた)の新年度がはじまりました。昨年10月に創業し、早一年。2期目に突入です。と言っても、「ねこだま」は8月に緩やかにプレオープンし、本格オープンに向けた途上ですので、事業年度(会計期間)への意識よりも引き続き”前進あるのみ”という心境です。

改めて思うのは、日本の会社は4月1日‐3月31日の事業年度が多いですが、以前は1-12月や10‐9月など様々あった印象です。特に非上場会社にとっては自由度高く、3月決算にせずともといったところがあったと思いますが、ここ35年の推移をみると上場会社数はやはり相当数増えていて、かつ3月決算が多いことがわかりました。

▼日本取引所グループHPより
上場会社数の推移(国内市場合計)
1990年 1,752社
2024年 3,975社

少し前の情報ですが、「東証マネ部!(2023年3月20日)」によると

・東証プライム市場に上場している企業のうち、もっとも多いのは3月決算
・社数構成比で68%を占める
・次いで多いのが12月決算で13%、2月決算が5%と続く
・3月決算が多いのは、日本の教育制度や財政制度に合わせたものと考えられる

もう少し俯瞰で捉えてみても

▼国税庁HPより
決算期月別法人数(合計2,667,689社)
3月 543,709社
9月 290,587社
11月 70,919社

やはり3月がダントツで、上場か否かに関わらず多いのが実態でした。ちなみに、最も少ないのは11月です。

ここで上述の「3月決算が多いのは、日本の教育制度や財政制度に合わせたものと考えられる」というのが、個人的に引っ掛かった”気になりポイント”です。

というのも、会社の決算期以上に昔から気になっていたのは、日本と海外の学校で新入学が4月か9月かという違いです。日本の学生が海外へ進学する場合、時期がズレてしまうことから、新型コロナの影響も相まって「9月入学論争」が5年ほど前に再燃しましたが、結局頓挫してしまった記憶があります。

では、そもそもなぜ海外では半期ズレの9月が多いのでしょうか?

▼文部科学省「学事暦の多様化とギャップタームについて」より抜粋・引用
諸外国における学事暦の状況について(出典:UNESCO Statistical YearBook 1998」)
国名:学年/(参考)会計年度の始期
アメリカ:9月~6月/7月
カナダ:9月~6月/4月
イタリア:9月~6月/1月
ロシア:9月~6月/1月
イギリス:9月~7月/4月
フランス:9月~7月/1月
メキシコ:9月~7月/1月
中国:9月~7月/1月
ドイツ:8月~7月/1月
デンマーク:8月~6月/1月
インド:4月~3月/4月
ブラジル:3月~12月/1月
韓国:3月~2月/1月
オーストラリア:1月~12月/7月

国や地域によってバラつきはありますが、主に欧米における9月はじまりの通説は、6月から8月にかけては小麦の収穫で忙しく、子どもたちも学校に通わず農作業を手伝ったため、その名残りとして長い夏休みが定着したという説だそうです。(農作業の最繁忙期は、春の種まき・植え付けと秋の収穫期が一般的で、夏ではないという異論もある模様)

でも、農作業が理由ならば、日本こそそうなっていて然るべきだと思ってしまいますが、日本はなぜ4月に半期ズレたのでしょう?

▼文部科学省「秋季入学に関する研究調査」【昭和61年12月】より抜粋・引用
・維新後、最も組織的な教育課程が最初に確立したのは、旧幕府の医学所を再編した東校(のちの東京大学医学部)。明治4(1871)年に来着したドイツ人医師ミュルレルとホフマンの医学教育計画の中に具体化。
・そこでは、予科2年、本科5年の7年課程制が採用され、冬と夏の2学期制にして、9月入学の先例が作られた。
・本科の課程を修了した者のうち、成績優秀な者を毎年2名ずつ選んでドイツに留学させ、明治18(1885)年までには教授要員12名を確保するという、念入りな人材養成計画。
・ただし、これは内員生(正則生)の事例であり、日本語で教育する外員生(変則生)の場合は、春3月と秋9月の2回入学を許可。
・明治10 (1877)年に、東京医学校と東京開成学校が合併して東京大学が成立。東京開成学校は、その前身である南校のころには4月、9月の2回入学を認めていたが、開成学校と呼ばれるようになってからは、医学校と同じように、9月入学の2学期制を基本とした。
・9月入学への趨勢に拍車をかけたのは、明治19 (1886)年に発足した帝国大学。その分科大学通則では、法・理・文学部の制度を全学的に適用することになり、学年は9月11日から始まる3学期制とし、「入学ノ学期ハ毎学年ノ始メ一回トス」と規定した。工部大学校の流れをひく工科大学も、これに従って3学期制9月入学に切りかえた。
・明治19年の学校令の頃には、学齢期の児童を尋常小学校(4年)に就学させる義務規定が強化されるとともに、学事行政を一般行政に従属させる措置が講じられた。同年、会計年度を4月1日に改正したことも、地方において小学校の4月入学を奨励する傾向に。
・この4月入学への先駆を切ったのは、小学校の教員を養成する師範学校。しかも全国の師範学校の本山と目された高等師範学校がその先陣の役を果たした。
・千葉県尋常師範学校が高等師範学校の動きに呼応していち早く4月入学に踏み切った際の、県知事への上申書には、大要次の4点の理由が挙げられている。
その1)9月始期の場合には、盛夏に学年末試験を行うため生徒の健康面に問題があること
その2)会計年度に合わせることが、生徒の給与品などの取扱いや精算に都合がよいこと
その3)管内小学校の学年始期を4月に改めつつあり、それに合わせることが望ましいこと
その4)明治19年の徴兵令の改正によって、それまでの壮丁者の届出期日が9月から4月に変えられたため、優秀な青年を師範学校に招致するには4月入学が有利であること


師範学校は、学資全額給費制で府県費からの財政支出が大きかったため、会計年度と学年を一致させると都合が良かったこと、また徴兵令改正の観点では、9月学年始期の場合には、師学校入学志願者が先に4月期限で陸軍に徴兵され、比較的高年齢の者も含めて身体強健な人材を求めていた師範学校には、打撃が大きかったであろうことから、「その2」「その4」が最も重視されたのだろうと考察されています。

・「その3」に挙げられた小学校の学年始期の4月統一は、明治23 (1890) 年のいわゆる第二次小学校令で等級制に代わって学年制の規定が設けられたことから軌道に乗り出した。
・小学校令は明治25(1892) 年から全面的に施行され、4月始期の学年制が全国的に実施されるようになったが、法規の上で明文化されるのは、明治33(1900) 年の小学校令施行規則において「小学校ノ学年ハ四月一日ニ始リ翌年三月三十一日ニ終ル」とはじめて規定。


詰まるところ

・明治時代に西洋の教育制度にならって学制を敷いた。しばらくは随時入学が残っていたが、高等教育ではドイツや英国をお手本に9月入学が主流となる。1886年(明治19年)に発足した東京帝国大学(現東京大学)も学年は9月始まりだった。
・9月入学を見直すきっかけになったのは徴兵令の改正。86年12月に徴兵令が改正され、徴兵対象者(満20歳の男子)の届け出期日が9月1日から4月1日になったことを受け、教員養成のための高等教育機関、高等師範学校(筑波大学の前身)が初めて、4月入学制を採用。これに尋常師範学校も続く。
・同時期に国は会計年度を、それまでの7月~翌年6月から4月~翌年3月に切り替えたことも影響。当時の師範学校は学費などを公費でまかなっていたため。

・1900年(明治33年)には、小学校の学年を4月からとすることを明文化。この後は、小学校、旧制中学校、師範学校などが4月入学、帝国大学や旧制高校は9月と、入学時期が2つに分かれた状態が続いた。
・文部省の指導などがあり、19年(大正8年)、旧制高校が、21年(大正10年)には最後まで9月入学を堅持していた帝国大学が、それぞれ4月入学に移った。この年で日本の学校は完全に4月入学になった。

・昭和22年 学校教育法施行規則制定により、大学の始期は4月1日とされる。「小学校の学年は4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。」(小学校に関する規定を大学にも準用)

ということで、残念ながら生徒の学習環境などを考えたからではないというのが今に至るというのは、かなり戴けないですね。
しかも冒頭で紹介した「3月決算が多いのは、日本の教育制度や財政制度に合わせたものと考えられる」というのは、なんか変ですね。徴兵令と会計年度に無理やり半期ズラされたのが教育制度の方であって、影響を被った側があたかも影響を与えた側のように変換されてはたまったものではありません。半期ズレが、こどもたちを第一に考えてのことではない上に、そんな謂われなき定説では、いよいよ反旗を翻したくもなりますね。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!