2025.09.02

空想

-48-

本日もあけました!

特別週間を挟み、1週空いてしまいましたが、また「ねこだま」の場づくりに関連する『ねこだまなおとな』の存在を紹介いたします。

今、一緒に動いているメンバーからの紹介で、奇想天外な職業人に出会いました。「どうやってそんな仕事に就いたの?」「どうしたらそれを仕事にできたの?」と根掘り葉掘り聞きたくなってしまうような職業です。それは「空想地図作家」。もうその名を耳にしただけで、なんだかワクワクします!

その方は、1985年生まれの、地理人こと今和泉 隆行さんです。7歳の頃から空想地図=実在しない都市の地図を描く「空想地図作家」であり、2015年に株式会社地理人研究所を設立。全国の美術館で、空想地図が現代美術作品として展示され、国内のみならず、台湾でも展示されるほど。
そして、テレビドラマの小道具やゲームの舞台の空想地理監修・地図制作にも携わったり、アートや教育の領域への新しいアプローチを試みたりと活動は広がり、現在は武蔵野大学高校非常勤講師(探究学習)も務められています。

まずは、到底真似などできない、独自性極まる経歴を紹介します。

・こどもの頃、週末に父親がよくバスで色々なところに連れて行ってくれ、車窓から見る景色が移り変わっていくのが興味深く、帰宅後にバスの路線図を見ては、まだ行ったことのない場所を想像して楽しんでいた。インターネットがなかった時代、家にあった地図に日常的に触れているうち、自然とバスの路線図から地図へと興味が移り、地図を見て街の風景を想像することが面白くなって、7歳で空想の地図を描きはじめた。

・小学5年生の12歳の時に、後に架空都市の名前の由来となる、転入生の中村くんというクラスの友だちが空想地図に興味を持ってくれ、お互いに描いたものを見せ合うように。その頃に描いた空想都市の地図が「中村市(なごむるし)」の原型。

・中学、高校でも空想地図はつくりつづけ、将来は「まちづくり」を学びたいと理系志望だったが、物理の単位を落としたことで文系に進路変更。私大の地理学専攻に進んだものの、大学2年生の頃に、地理学は研究者か学校の先生になる道しかないことに気がつき、大学編入を決意。まちづくりのゼミがある、国立大の経済学部に3年次編入。

・大学のまちづくりのゼミで学びつつ、都市設計コンサルタントでのアルバイトもした際、過酷な労働環境に身を置く社員の姿を目にし、自分には向いていないと思うように。大学2年から数年間は空想地図制作をやめ、貯めたアルバイト代で全国47都道府県300都市を回る地方都市巡りに。日本全国の土地勘を養うことを目的に、名所や観光地ではなく、百貨店やショッピングセンター、商店街など多くの人々が集まる場所や住宅地のある郊外に趣き、街で暮らす人々の生活を肌で感じる。

・大学卒業後は、とにかく社会を見てみようとIT企業に就職したが、2年で退職。会社員も性に合わなかったため、派遣社員やアルバイトをしながら、デザインの仕事をフリーで受け、合間に空想地図関連のイベントや著述をする自営業に。たまたま参加したイベントで、多くのフォロワーのいる方々とご一緒するご縁にも恵まれたことで少しずつ世に知られるようになり、出版やテレビ出演などの依頼をいただくことにつながった。

私が特に「面白い!」と驚きをもって感じたのが、多ジャンルのクリエイターとの共同作業により、中村市内のコンビニなどのレジ袋、クレジットカード、ショップのポイントカード、デパートの紙袋に包装紙、商店街や店舗の看板、中村電鉄の車内の案内表示装置や路線図、集合住宅の郵便ポストの中身、住民の出したごみ、女子大生の落とし物の財布に入っていた学生証明書や運転免許証にレシート等々。住人の息吹が感じられる、街の暮らしを構成するものをリアルに再現しているのです。もう地図の域を超えて空想が過ぎる!と思ってしまうほどですが、曰く、「空想地図を描く時は、ただの1人の調査員として、自分の理想の街ではない現実的な都市を想像している」らしく、もうなにが空想で現実なのかわかりません。笑

47都道府県500都市(大学時代の300から増えている⁈)を訪ねて、それぞれの地域の街から郊外までの様子を直に見聞し、自分の描いた空想地図にリアリティがないと感じた部分があったら、その箇所を描き直すなど、今なお修正は続いているらしく、城下町の「中村市」は、地形や歴史など多くの観点で修正意見をもらいながら、昔の街道の形状を修正することもあるというから、もうその凄みに畏れ入ります。
その証拠に、カーナビ会社とアドバイザリー契約をしたり、大阪・関西万博で2030年代の近未来の都市空間展示の監修をしたり、誤解を恐れずに言えば、これぞ「嘘から出た実」。完全なる「虚」が「実」に取り入れられるようになってしまったわけですから、文明開化を凌駕する「人明開花」の音が心地よく響いてきます。

さらに、実際に私が今和泉さんのイベントに突撃でお会いしに伺い、ご挨拶させていただいたとき、なにより驚いたのは、そこでワークショップに参加していたこどもたちが、それぞれに黙々と作業に没頭している姿でした。てっきり、すぐ気が散って歩き回ったり、隣の子にちょっかいを出しはじめたりするんじゃないかと勝手に思っていたので、なんだか感動的ですらありました。

今和泉さんは、人見知りをしない性格らしく、むしろ人に興味があるとおっしゃっていた通り、よく話してくださる方で、決して職人的に平面上の地図に閉じるのではなく、地図を通じた人との関わりが本当にお好きなんだと思いました。
「ねこだま」において、こどもに教え込むのではなく、こどもたちが自分ひとりで、あるいは仲間と一緒に創作する中でまなびを深めていくイメージをお伝えしたところ、今和泉さんも実際こどもがどうしたら良いか聞いてきても、「それは自分で考えろ。オレの仕事ではない!」と突き返されることもあると伺い、素晴らしい教育スタンス・距離感になると感じました。

地図を通じて、人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している空想地図もさることながら、今和泉さんの「自分年表」がまた半端じゃない!
とてつもない『ねこだまなおとな』です

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!