2025.08.22
独立
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本日もあけました!
現代を生きる『ねこだまなおとな』の存在を通じて、様々な生き方や働き方をこどもたちに”魅せて”あげたいとの想いから、日々「ねこだま」の場づくりに勤しんでいます。
そんな中、せっかくですので、今現在すでにご賛同ご協力をいただけている方、あるいは、これからぜひご参画いただきたい方について、少しずつ紹介していきたいと思います。
私が、こどもたちのまなびそだちの場づくりを考えはじめたときに知った驚愕の職業がありました。おとなでさえ知っている方は皆無に近い(実際、私がこれまで周囲に話してきた中で、知っていた人は未だひとりもいない…)存在です。その名も「独立時計師」。もうその響きからして存在感があり、なんだかカッコいいですね。
日本では耳慣れない「独立時計師」は、世界でも僅か35名ほどで、時計王国として名高いスイスにある独立時計師協会(AHCI)に所属する時計職人ですが、その次元が半端ではないのです。企業やメーカーに属さず、個人で時計製造を行うのですが、それはつまりチームで分担して製作にあたるのではなく、ひとりですべて仕上げきるということです。ゼンマイ仕掛けの機械式時計は、極小の歯車といった部品のひしめく世界で、その数100個、時には200個以上にも上るということです。想像しただけで気の遠くなるような時計作りは、年に数本、時には1本に何年もかけて製作することさえあるようで、自身のアイデアを高い技術力で具現化する、独創的な作品を一から作り上げる、世界最高峰の時計職人と言えます。
そんな異色の存在は、日本にたったの3人だけ。そのうちの1人でいらっしゃる、牧原大造さんにお目にかかることができました。それは去る令和7年7月7日、7尽くしの七夕のことでした。
「小中学生を対象にといった考えに賛成」「将来を見据えての時計業界に興味を持ってもらうことはとても大事なこと」と、唐突な私からの申し出にもかかわらず、快く応じてくださり、すぐに面会が叶ったのです。
お会いした印象は非常に気さくな方で、「神の手」の近寄りがたい存在と感じさせない、こどもとまなびの交流をできるイメージがすぐに持てた素敵な方でした。でも、その経歴は見事なまでに”猫魂”の塊です。
・高校卒業後の進路の選択で、料理人か時計師になるか迷った結果、料理人の世界に進んだ。当時はまだインターネットが普及していなかったこともあり、時計について学べる学校があることなど知らなかったため、消去法で決めた選択だった。
・8年間料理人としてホテルに勤めた後、ヒコ・みづのジュエリーカレッジに通う友人から、同校に時計のコースがあることを教えてもらい、初めて時計の専門学校があることを知った。時計への気持ちを絶やさず抱き続けていたため、料理人を辞めて入学することを決断。
・27歳でヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学。ある時、同校に取材で訪れたテレビ番組が幸運の転機となり、時計の神様と呼ばれる、憧れのフィリップ・デュフォー氏との運命的な出会いに恵まれたことが、独立時計師の道を志す決定打となった。
私と同様、牧原さんもあまり勉強が得意でないこども時代(成績も教えてくださいましたが、ここでは触れません笑)だったが、なにかコレとなるとやれるタイプだったそうで、こどもたちのはかり知れない力を引き出す構想の「ねこだま」に共感をいただきました。
自治体からの依頼で出張授業をされたこともあるご経験から、「大人よりも、感受性豊かなこどもたちの方が目を輝かせて反応してくれるのが嬉しい」とのことで、「ねこだま」でやるならオンラインイベントが一番良い~とのお言葉を頂戴し、時機を見て ‐ご多忙のため、長い目で見て- の実現を模索しているところです。
学生時代に彫金(エングレービング)と出会い、独学で学ばれたそうですが、類を見ない「時計の製作と彫金を一人で全て行う」神業によって、他にはない自由な発想で仕上げることができる唯一無二の時計は、数千万円もの価値になるのも当然と思えます。
「ねこだま」を通じて、こどもたちが牧原さんの存在に触れ、多くの刺激や気づきを得てもらえたらと、実現する日を今から楽しみにしています。
ほかでもない牧原さんらしい歩みによって、生まれ持った力とともに運までも引き寄せ、あたらしいあしたをあけた「人明開花」の音が鳴り響いてくるようです。
昨日紹介の岡本太郎さんの見地に立てば「これこそが人類の進歩だ!」と、人間のはかりしれない創造の離れ業に畏敬の念を抱きます。
独立独歩の牧原さん。極めつけは、誕生日が8月8日 ”世界猫の日”という、にゃんとも出来過ぎな『ねこだまなおとな』です!
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!