2025.08.20

猫だましい

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本日もあけました!

このタイトル、不思議な体験談の続きではありません。実は、河合隼雄さんの書籍のタイトルなんです。

自身が”猫魂”という考えを持った頃に、念のため世の中の論調や主張を確認する意味でも、関連しそうな本を探してみました。すると、「ネコ型」というキーワードが散見されました。ネコ型人間・ネコ型社員・ネコ型社会など。それらの本の中身は読んでいないので、正直詳細はわかりませんが、その言い回しを一瞥しただけで、私のそれとは根本的に異なると感じました。「型」というのはタイプを表しており、あくまで私の印象ですが、そのような当てはめ方は「分類」としてはわかりやすいものの、ステレオタイプな捉え方にもつながる表現に感じました。なにより処世術的側面の強いイメージです。
そもそも私が言うところの”魂”というものは、そう簡単に2つの型などに分類できるものではありません。そして以前にも記したように、他律的な学校教育によって”犬魂”に矯正されるのであって、本来、人間誰しも「三つ子の魂百まで」と言われるような生まれながらの魂を備えている。それは自律的で、はかり知れないチカラを持つ”猫魂”である、という主張です。まあ、この話はこれくらいにして・・・、そんな折、まさにどんぴしゃの「猫だましい」という本に出合ったのです。
永らく”こどものまなびそだち”について思案し続けてきた中、幾度となく河合隼雄さんの出版物を目にし、気になっていました。余談ですが、自身の大学時代に学んだ学業の中で、一番興味を持ったのは心理学で、前職の広告コミュニケーションも心理に大きく関わる領域でした。そもそも社会経済自体、人々の集団心理が大きく作用するものであり、人間が社会活動をする上で、すべてに大きな影響を及ぼすものであると感じていました。そして、教育という領域も例外ではなく、知識や学力としての「知性」を高めること以上に、もともと個人個人が生まれながらに持ち合わせている「感性」こそが”個性”を司るものであり、豊かな人生を叶える上で必要不可欠な、”独自性”や”人間性” -シンギュラリティの時代においてはなおさら- を引き出し、伸ばすべきではないか。その差異性こそ、今で言う多様性であり、豊かな社会の実現につながると考えたのです。

そこで、そのような観点につながりそうな心理学やこどもの成長に関する専門性の高い学術的内容があるのかどうか探していたところ、心理学の専門家と一口に言っても、ジャンルは多岐にわたる中、自分の考えを後押してもらえるかのような本に巡り合えたのです。
河合隼雄さんは、スイスユング研究所で日本人として初めて、ユング派分析家の資格を取得され、国内外におけるユング分析心理学の理解と実践に貢献された臨床心理学者ですが、児童文学、絵本、神話、昔話などの研究もされ、こどもの内面を捉えることで人間の本質を解き明かした方だと感じました。文化庁長官まで務め上げられた方ですが、文化を創造し心を豊かにすることを目指した生涯だったと伺い知り、素晴らしい志のある先人に、ご存命のうちにお会いしてみたかったと心底思いました。

そのような方の数ある著書の中から、この上ないタイミングで巡り合えたのが「猫だましい」だったのです。その中で、”魂”のことを非常に明快に言い表されていらっしゃると感銘を受けた内容について、引用・紹介させていただきます。

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一本の線分を二つに切断するとき、それぞれの端に名前をつけて明確にすると、必ず抜けおちる部分がある。このことを、人間存在という連続体に当てはめてみよう。それを「心」と「体」という明確な部分に分けた途端に、それは全体性を失ってしまい、その二つをくっつけてみても元にはかえらない。人間という全体存在を心と体に区分した途端に失われるもの、それを「たましい」と考えてみてはどうであろう。それは連続体の本質である。
と言って、連続体のなかから「たましい」だけを取り出すことはできないのだ。それは人間の全体性を考える上で不可分であるが、それを明確に示すことができないのである。

(中略)
近代はものごとを割り切って考えることによって、随分と生活の便利さを獲得するようになった。しかし、その分だけ「関係性の喪失」に悩まねばならなくなった。あらゆるところで、人間関係の希薄化を嘆く声がきこえてくる。
それはすなわち、たましいの喪失である。
そのような悩みをもった人がわれわれ心理療法家を訪ねてくる。われわれはそこで、その人のたましいとの関係の回復を援助することになる。と言ってもわれわれに出来ることは、その人のたましいがその人の自我に話かけてくることに共に耳を傾けたり、たましいから産出されるイメージのウォッチングをしたりするだけである。そのために、普通の大人があまり相手にしない夢や箱庭づくりや絵を描くことなどを大切にするのだが、そのなかに、極めて重要な役割をもって猫が登場してくるのである。いずれこの本のなかで、それらを紹介するときもあるかと思うが、猫を「たましいの顕現」と呼びたいほどに感じるときもある。
たましいはそれ自体を取り出すことはできない。しかし、そのはたらきはいろいろと人間の五官に感じられる存在として示される。猫はそれらのなかでも、相当にたましいに関連づけられやすい生き物なのである。

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私にとっては、とてつもなく腑に落ちる、五臓六腑に染み渡るというか、まさに”魂に響き渡る”お話でした。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!