2025.08.12

意外な記念日

-34-

本日もあけました!

8月12日と言えば、『国歌 君が代 ‐National Anthem “Kimi ga Yo”-』の記念日ということをご存知でしょうか?改めてその歴史を振り返ると、意外と知らなかったという人も多いのではないかと思いますので、確からしい情報である以下抜粋引用にて綴らせていただきます。

「防衛省・自衛隊ウェブサイト」より
文:谷村政次郎(たにむら・まさじろう/第11代東京音楽隊長)

「君が代」の成り立ち
明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン(John William Fenton, 1831-1890)の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。
しかし、日本人の感性に合わなかったことから、明治9年に初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(後中村祐庸(すけつね)と改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入りました。
その結果、新たに作り直されたのが現在の国歌「君が代」です。明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されました。この時点では、いわゆる国歌としての位置付けで取り扱ったのは、海軍省と宮内省のみでした。
歌詞の選定および作曲者に関しては諸説あります。歌詞は『古今和歌集』所載の〝我が君は…〟で歌い出される「読み人知らず」の古歌とされています。作曲者は、宮内省楽部伶人の林廣守とされていました。しかし、現在では多くの研究書があり、諸説あることから、ここでは言及をさけておきます。
この「君が代」は、海軍軍楽隊のお雇い教師、ドイツ人のF. エッケルト(Franz Eckert, 1852-1916)によって吹奏楽用に編曲され、明治21年に海軍省から各条約国に「大日本禮式」(JAPANISCHE HYMNE)の題名で送付したとされています。調子は、フラット(♭)二つの変ロ調でした。
明治26年8月12日の官報第337号に載った「祝日大祭日歌詞竝樂譜」の文部省告示は、次のとおりです。

文部省告示第三號
小學校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌
詞竝樂譜
別册ノ通撰定ス
明治二十六年八月十二日 文部大臣井上毅

別冊には、「君が代」「勅語奉答」「一月一日」「元始祭」「紀元節」「神嘗(かんなめ)祭」「天長節」「新嘗(にいなめ)祭」の八曲が、楽譜付で載っています。解説には、「國歌君が代」と記述されていることからも、「君が代」は国歌として位置付けられていたことが確認できます。調子は、「大日本禮式」より一音高いハ調でした。

「国旗国歌法」の制定
前述のことから「君が代」は国歌として長らく演奏されてきましたが、法的に根拠がないということで、平成11年8月9日「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が国会で成立、13日に公布(号外第156号)し、次のように即日施行されました。

国旗及び国歌に関する法律をここに公布する。
御名御璽
平成十一年八月十三日
内閣総理大臣 小渕 恵三

法律第百二十七号
国旗及び国歌に関する法律
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
(以下「略」)

この別記第二として載っているハ調の「君が代」の楽譜には、テンポの指定、強弱記号はなく、本来6カ所あるべきスラーが付いていないなど、不完全なものでした。

演奏の規定と慣例
国歌として演奏されていた「君が代」は、大正元年8月9日「儀制ニ關スル海軍軍樂譜」の制定により、海軍では次のように定めていました。

第一號 君カ代 天皇及皇族ニ對スル禮式及一月一日、紀元節、天長節、明治節ノ遙拜式竝ニ定時軍艦旗ヲ掲揚降下スルトキ

海上自衛隊においては、昭和36年1月18日「儀礼曲の統一に関する通達」が制定され、その最初に次のように定めています。

君が代
(1)国旗又は自衛艦旗の掲揚降下の場合(2)諸儀式において儀式の執行者が必要と認める場合

海軍の軍艦旗、海上自衛隊の国旗・自衛艦旗の掲揚降下とは、朝8時に掲揚し日没時に降下する、古くからある万国共通の慣習によるものです。
音楽隊(軍楽隊)が乗り組んでいる艦が外国の港湾に停泊中は、自国の国歌で掲揚降下を行い、その後に訪問国の国歌を演奏することになっています。同所に他の外国軍艦が停泊している場合は、指揮官の序列により、それぞれの国歌を奏します。
国際観艦式等で、多くの国の軍艦が集結している場合は、申し合わせにより省略することもあるようです。中南米の国歌のように、5分を超える長い国歌の国が多く集まると20~30分も掛かることがあるでしょう。

テンポと演奏時間
明治21年のフェントン編曲「大日本禮式」のテンポは四分音符=70と設定されています。大正元年の「儀制ニ關スル海軍軍樂譜」の別冊に定められた「海軍儀制曲總譜」の第1号「君が代」にはテンポ表示はなくLarghettoと速度標語が記載されています。
明治26年8月12日の文部省告示「祝日大祭日歌詞竝樂譜」では四分音符=69になっています。これは、振り子式メトロノームのメモリに70はなく、69の次が72であることから、最も近い69にしたものと推察されます。
海軍では信号ラッパで軍艦旗を掲揚降下する際は、ラッパ譜「君が代」を45秒で吹奏していました。同港湾に軍楽隊が乗り組んだ旗艦が停泊していた場合、演奏時間を同じにするために国歌も45秒で演奏していました。この際、テンポを四分音符=60で演奏すれば、1拍が1秒として11小節の国歌は44秒となり、終わりを少し伸ばせば45秒となります。このテンポに関しては、習慣的に実施していたようで、明文化された文書等は確認しておりません。

いずれにしましても、大勢で歌う時、国旗を掲揚降下する時など、その場の雰囲気に最も合う適当なテンポの設定が必要でしょう。

戦後も、その流れをくむ出版社、あるいは新たな出版社から何種類か出版されていますが、公式に認められた編曲の楽譜はないと言えましょう。
・・・

「君が代」が、小学校において祝日大祭日で歌われる唱歌として定められたのは、今から132年前の明治26年8月12日のこと。当時から国歌として長らく演奏されてきたものの、正式に法的根拠を得たのは、僅か26年前の平成11年8月9日 ‐「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が国会で成立、13日に公布、即日施行- というのは、意外や意外ではないでしょうか。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!