2025.07.29
キャッツアイ
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今日もあけました!
目まぐるしく変わる、ねこの目玉のような時代を迎えている、以前そんな話をしたことがありました。私は、これを「キャットイヤー」と命名したいと密かに思ってきました。
振り返れば、今から遡ること約30年前の1990年代後半頃、「ドッグイヤー」と言われた時代がありました。私も社会人になりたての、日本では就職氷河期にちょうど重なっていた時期ですが、IT業界の技術革新(デジタル化)が目覚ましく、情報産業における変化のスピードの速いことを[犬の成長の一年が人間の七年分に相当]することになぞらえて流布した言葉でした。当時、コンピュータやインターネット等の情報技術分野での技術革新スピードと表裏一体な、その陳腐化のスピードも含めて、主に「速さ」に焦点を当てて言い表したものでした。
そして、そこから失い続けた30年を経た現代は、もはや変化の「速さ」だけではない、これまでの「常識」とされてきたことや「ルール」が根底からひっくり返る、予測不能な激変・激動の環境にあります。
これを定義するならば、2020年代以降、AIの進化・台頭(シンギュラリティ)により、全産業・社会構造が刻々と変貌することを[猫の目が一日の中でも七変化する様相]に例えた表現、それが「キャットイヤー」です。
「一寸先は闇」ならぬ、「一寸先は未知」である、そんな”未知なる道”の歩みはどうすれば良いのか?その答えは、”キャットウォーク”ではないかと思うのです。これまでは「ドッグレース」の如く、とにかく周囲との競争の中で、どれだけ優位に立てるかを求められてきた。それが、今後は傍観者である観客を尻目に自ら舞台の花道を切り開いて自分らしい歩を臆することなく披露する、そんな”魂の歩み”を進める時機であると思うのです。
”三つ子の魂百まで”と言われるように、魂が消え去ることは決してないのだろうと思います。若い時分に親や先生から自分の本心に蓋をされたり、いつしか自分自身でも抑え込むようになってしまったりと、一旦は諦め、忘れ去ろうと捨て置いたつもりでも、歳を重ねた先に必ずそれが噴出する、むしろ抑え込んだ分、逆作用の大きな反動として溢れ出してしまう、自分に嘘や誤魔化しが一切効かない”魂の叫び”となって現れるのです。
「もっともらしく、確からしい道と叩き込まれて無理やり進む、犬魂(いぬだましい)」ではない、「自分らしく、あたらしい道を自らあけひらいて突き進む、猫魂(ねこだましい)」の生き方が続々と出現する時がきたと感じています。
そんなのは、ただのこども騙し、否、ねこだましだ!と揶揄されるかもしれませんが、どこまでも自分に正直に自律的に生きていくねこだましいは、言霊のような恐るべき実現力で、さながら神業のように、説明も証明もできない神秘の輝きを増していくことでしょう。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!