2025.07.24
神ねこ
-22-
今日もあけました!
このところ、ねこの主だったイメージについて、四字熟語シリーズで三点挙げましたが、それらの裏付けとなる要素も含めて、ねこには他にも数多のイメージがあり、枚挙に暇がないため、かの有名なポーズでだれもが知るねこについて考察していきたいと思います。
「ねこ」は、特にスピリチュアルな存在として語られることが多く、神秘的なイメージを宿す稀有な生き物です。このような面も犬とは対照的と言えるでしょう。しかも、あくまで”神秘的”なのであって、決して祭り上げられたり、純粋に神格化されたり、といった類のものではないのも特筆すべき点でしょう。日本に限らず、世界中の昔話や伝説などでも共通するのは、良い猫・悪い猫の両面で登場する多様さです。ここにも、画一的ではない多面性や個体差の激しさが大きく関係していると言えそうです。なにより、従順ならざる、ツンデレでつかみどころのない不思議な魅力を纏う猫を扱うのは、やはり一筋縄にはいかないということもあるからでしょう。
そんな猫は、”神”的な側面も備えており、世界中の神話でもひときわ存在感を放っていますが、ここ日本や中国において、神的な象徴でありながら、身近な存在で根強い人気を誇るのが、そう「招き猫」です。
招き猫の由来の有力な説に名を連ねる豪徳寺へ、私も何度か足を運んだことがありますが、境内の一角「招福殿」に居並ぶ招き猫の数は圧巻で、今ではインバウンドの外国人も数多く訪れるほど大変人気の観光スポットにもなっており、国内外問わず、あらゆる人々を惹きつけてやみません。
その豪徳寺では、招き猫のことを「招福猫児」と表します。来ました、漢字四字!!
この字面を見るにつけ、なんとも不思議な、それでいてなんだかとても納得感のある想いを抱かされます。「寝る子」がねこの語源であり、人間のこどもにも通じる面があるのではないかと書きましたが、”猫”と”児”で「ねこ」と読むとは、とても偶然とは思えない、言い得て妙と感じずにはいられない表現です。
目に見えない、幸せを招く神がかったチカラを秘めている「ねこ」。猫も人間のこどもも、生まれながらにそれぞれ好奇心や秘めた力がある。でも、人間のこどもは「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」なんて、全然笑えない、けれど非常に的を射ている皮肉な諺がその証であるように、幼い時ほど神的な”はかり知れない”力を持っているのです。また、諸説あるものの「七つまでは神のうち」なんて言葉もあります。勝手ながら、この文脈での解釈でいけば、神秘的なチカラを持つこどもたちは、おとなに近づくにつれ、その本来のチカラを失っていくと読み取ることができますが、それはなぜなんでしょう?七つや十の頃、その道程になにがあるのかと考えを巡らせると、ご想像の通り「学校」「教育」の存在があります。眠れる子の力を引き出し、伸ばすことができていれば、そうはならないはずで、やはり学校という環境や教育という名の評価や指導は、神秘の力を奪う「爪削ぎ」であると認めざるを得ないのではないでしょうか。
真否は如何に⁈
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!