2025.07.23
歴然とした差
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今日もあけました!
引き続き、ねこのイメージ四字熟語シリーズです。笑
もうひとつ特徴的なのは、「神出鬼没」ではないかと思います。音もなくスッと現れて、またいつの間にか居なくなっている。独特の間合いというか、マイペースというか、自分を持っているからこそ、周りとの距離感が一定ではない。人に合わせるというより、いつの間にか人の気を引きつけて、逆にねこに合わせるように仕向けてしまう、なんともいえない魔力の持ち主と言えるでしょう。
その「神出鬼没」の性質は、もちろん生まれ持った大きな特性であることは間違いないですが、少し想像を膨らませてみると、当事者のねこにとっては、神出鬼没が招く”偶発性”による体得をたくさん重ねていることが、さらにその特性を増幅させているのではないかと思えてきます。神出鬼没であることは、”ルーティンにあらず”ですから。
いつも一定した場所に居るのは、周りからすると安心感や安定感、引いては信頼感があると”好意的”に受け止められますが、逆に言えば、本人は日々同じことの繰り返しに陥っている状態です。それはリスクの観点で捉えると、滞留してしまっている事態です。一方、いつどこに居るかはっきりわからない、常ならざる、予想のつかない動きをしていることは、周りには不安や不信を招きかねない不安定な状況と烙印を押されることにつながるかもしれませんが、本人にとっては刺激的な瞬間の連続で、きっと危険な目に遭ったり、怖い思いをしたり、あるいは思わぬ収穫を手にし、幸運な出会いに恵まれるといった貴重な経験をしているというのが実態でしょう。人間はその一つ一つの経験を失敗とか成功とかイチイチ分類したり、その割合や確率からして非効率だという見方をしたり、大きな損失があった時には「それ見たことか!」と殊更に言いたがりますが、純粋に全部ひっくるめて得難い体験をしていることにほかなりません。計算できない多くの偶発的な経験を身をもってするからこそ、真に”実になる”のであって、予想通りの意外性のない経験を重ね続けることは、なにかにおいて熟練することはできても、振れ幅のない安心安全と言う名の収穫の乏しい状態であると言えるでしょう。あえて、前者と後者のどちらが長い人生として成功か失敗かと問うならば、私の答えは明白です。なにより実感を伴っている当人にとってはなおさらでしょう。たとえば、”失敗”談もおいしい話として何度も使えれば、やはりその人だけのかけがえのない体験であり、充分”元を取れる”ことにもなりますよね。
そして、偶発性を重ねる喜びや素晴らしさを知っているからこそ、神出鬼没な行動に輪をかけていくというポジティブサイクルを生み、本来の性質に磨きをかけていっているのではないか、という推察はあながち外れていないのではないでしょうか。そうすると、対極である”停滞によるネガティブサイクル”と比べた時、その「経験=生きる上での財産」の差はどんどん開く一方で、こういうことが「偶然と言う名の必然」に結びついていくのだと確信にも近い思いがします。だから人生は面白い。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!