2025.07.10

あなた次第

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今日もあけました!

前回、夢や希望は、人と比べるものではない、自分の内に存在する絶対的なものである。だから、持とうと思って”持つ”ものではなく、気づけば自然と自分の中に確かに”ある”ものではないか、という思いを綴りました。その続きを少々。

たとえば、夢が「大きい」とか「小さい」とか言うのは、”目標”と”夢”を混同しているのではないかと思います。織姫と彦星の場合、「会える」こと自体、2人にとってかけがえのない絶対的なことであり、それが大きいとか小さいとか人から言われる必要のないものです。また、2人がそれを実現できた時に、燃え尽き症候群になることもないでしょう。また来年も再来年も…と毎年続くことを乗り越えていけるその精神性は、とても想像すらできない次元ですが、彼らにとっては、”持つ”状態ではなく、”ある”状態だからずっと変わらずにいられるのだと思うのです。もしそれが目標だった場合、それを達成した瞬間に、やりきったという虚無感に陥ったり、次の目標が”持て”なくなってしまったりする。つまり目標は実現した時点で消滅してしまうものですよね。だからまたそれに代わる次なる目標を立てなくてはならなくなる。でも、夢や希望というものは、実現できた後もなくなるものではなく、その状態に”ある”ことが可能だから、夢の中に居続ける(夢があり続ける)ことができる、そういうものなのではないでしょうか。
”あしたが待ち遠しくて仕方ない”状態というのは、”幸せ”と呼べるのではないかと記しましたが、まさに幸せも同じだと思います。幸せに”なる”ものではない、幸せで”ある”状態だと。幸せ=お金とか、○○になるとかだと、いざそれを手に入れたところで、呆気ないほど「こんなものか」と想像していたより遥かに満ち足りず、もっともっと、と強欲にさえなってしまう、それは目標と同じレベルだからですよね。幸せで”ある”状態なら、幸せが続くことは可能なのだから。

思うに、いま世界中の人々を、野球ファンのみならず、熱狂の渦で虜にしている大谷翔平選手は、それを体現している存在ではないかと感じます。高校生の頃から、それこそ明確な目標達成のためのマンダラチャートを使っていたことは有名ですが、傍目にはそれら高次元の目標をいとも簡単に次から次へと実現し続けている超人でしかありません。その一方で、純粋にその道程を心から楽しみ、日々野球をできることが幸せで仕方ないように見えますよね?決して順風満帆ではなく、度重なる怪我に見舞われ、時には不調や野球以外の困難も含め、実際には当人以外にはわからない尋常ならざることだってたくさんあったはずです。それでも、なにより野球をできる喜び・幸せの中に居続けている、そんな純真な姿こそ”野球小僧”と称される所以なのでしょう。メジャーリーガーの夢が叶っても、とてもつもない偉業を成し遂げてもなお、ずっと夢や希望が毎日あり続けているのだと思いますきっと今に至るまでも、時には前代未聞の挑戦に対する反対・否定といった強い逆風にさらされたり、「二刀流なんてプロでは通用しない」「マンガじゃあるまいし、現実にはあり得ない」「日本では通用してもメジャーは甘くない」」なんて、”大きすぎる”夢として嘲られるようなことだってあったはずです。そんな中、しっかりと横に並んで同じ目線で、もしかすると本人以上に本気で大真面目に考え、応援し、ともに挑んだ栗山監督など、一緒に同じワクワクのあしたを楽しみに歩んでくれたおとなたちとの奇跡的とも言える幸運な出会いが「マンガの世界を現実にする」上で欠かすことのできなかった点として間違いなく挙げられるでしょう。
”普通”なら「いつまでもそんな夢ばかり掲げてないで、投手か打者かを決めて専念しないと、どっちつかずで終わるぞ!」と可能性を摘まれていたでしょうから。

環境をつくるということは、ほぼ信じることと同義だと思います。常識や当たり前ということに囚われの身にならず、あたらしい道を模索する、そこには相当の信念・覚悟が必要で、揺るぎない信じる力だけが成し得る業なのではないかと。そういえば、著書はまだ読めていませんでしたが、栗山英樹さんの本のタイトルは「信じ切る力」でしたね。さすが、信じるを超える、”信じ切る”力。

おとながこどもを信じることも、おとながおとなを信じることも、信じてもらえたひとにとって、とても大きな原動力になる。そして実は、おとなこそ、こどもに信じられたことがなにより大きな力になる。

信じるか信じないかは、あなた次第です!

ご一読いただきまして、ありがとうございました。

それではみなさま、よいあけがたを!