2025.07.03
侮るなかれ
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今日もまたあけました!
いきなりですが、カウンターの横並びって結構良いんですよね。特にまだそこまで親しくない、距離感が縮まっていない関係の場合、対面で向き合うよりも横に座る方が落ち着く感があって良いんです。対面だと正面からお互いの顔が見えるということによる緊張感も生まれますが、それ以上にお互いが違う景色を見てしまっている対立構造が生まれるからです。横に並んで座ることの良いところは、同じ景色を見ていること。つまり共有できているものがあるのは、人と人の安心感や信頼感につながる大切な要素として大きいのです。
ところで、こどもがいつしか抱く大きな疑問のひとつに、「大人になるとは?」ということがあります。たとえば、お酒が飲めるようになる歳とか、選挙権とか免許が取れる年齢とか、いやいや電車運賃等、中学生以上は大人料金だから大人やん!みたいな。また、逆にいつまでも自立していない大人は背格好だけ大人なだけで、中身はこどもだなんて説も。
実は、お気づきかもしれませんが、私がこの文章を綴っている際に「子供」とか「子ども」という書き方はしていません。データ等出典の表現はそのまま引用しますが、自身の表現では使いません。また同様に本来は「大人」ではなく、「おとな」と書くようにしています。これまでの話の展開的にあえて「大人」としてきましたが、以降は基本的に自身の文面上は「おとな」に戻させていただきます。その理由は、「大人」「子供」の定義がそもそも難しいと思うことがひとつ。精神的にしっかりとしていて、その辺の大人よりもよほど立派なこどもの場合、「子供扱い」は相応しくないですよね。そして、その曖昧な線引きにもかかわらず、「大」「子」といういかにもヒエラルキー的な力関係の上下・強弱を感じさせる印象があるからです。私自身、こどもに対しても、ひとりの人間として向き合うことを大切にしています。よく「大人」や「親」が勘違いしがちなのが、こどもは親の同一人格でもなければ、ましてや所有物ではないにもかかわらず、そのような配下意識が強いことがあると思います。それが行き過ぎると、強制・強要的な接し方になり、虐待といったことにもつながります。確かに難しい子育てにおいて、親の手に負えないような場合、思わず「この子は理解できない」なんて憤ることも多いと思いますが、それはそうですよね。”自分とは違う”人間なんですから。特に異性にあたる場合など「私は姉妹で育って男兄弟がいなかったから男の子の育て方が分からない」なんて言い方もよく耳にしますが、実際そういう側面もあるのでしょうけれど、それもこれも根本的に”別人格”である意識が非常に薄いからだと思われます。どこかで「私と血がつながっている家族」だから「同じ考えや行動、嗜好性のはずだ」と無意識に思っているのではないでしょうか。
ここで最初のカウンターの話です。おとなはこどもを上から目線で見るのではなく、また対峙して問い詰めるように迫るのではなく、横に座って同じ方向を見るということをやってみると良いと思います。ただでさえ、「まだ小さい子供だから」と、ひとりの人間として扱えていない意識が強いならなおさらです。目を見て話すことも大事ですが、本当の想いを口にするには、それこそ力関係で負けるこどもにとっては難しいことです。「大人」を怒らせたら、きっとその権力を振りかざして不当な対応や不利益を被ることはこどももちゃんと分かっていますし、ただでさえ緊張感のある場面で目を直視するのはさらなる緊張を強いられて言いたいことも言えなくなるでしょう。「本当のことを言わないと怒るよっ!!!」って、もうすでにめっちゃ怒ってるやん⁈みたいな。笑
おとなだって、いつかのこどもだったわけで、少しずつ身体も心も経験を重ねる中で成長し、いつしか正式認定もない自称「大人」になった(つもり?)のですから。こどもは当然、知識も体力も経験も財産もまだまだ少ない、あるのは”生まれ持った豊かで鋭い感性”と、まだ顕在化していない”はかりしれない能力”だけなのですから。
そんなこどもたちをおとなたちは、時には我慢をしながら(それこそ”大人”な対応で)、こどもを信じて、見守り、応援する。それをされたこどもたちは、その時点では上手く表現できなくても、きっと大きく育った時に、おとなに親に自然と心からの感謝をすると思います。その同じ目線で同じ方向を見てくれたことがなによりも嬉しく、心強く、頑張れる原動力と自信になるのではないかと。
引き続き色々な想いも含めて書き進めてまいりますが、身も蓋もないほどはっきり言ってしまうと、おとなや親がこどもに教えられることなんて、突き詰めるとほとんどなにもないに等しいと思っています。こどもの傍らで、一番の味方であり、ファンであり、外でどんなに辛いことがあっても安心して帰れるうち(家・内)がある。そういう環境をつくってあげることが、本人の”うちなる力”を引き出す最大の教育なのではないかと思っています。
ご一読いただきまして、ありがとうございました。
それではみなさま、よいあけがたを!