2025.06.23
自分で決めるということ
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今週月曜も、あけました!
昔から、サザエさん症候群なんて言われるように、ブルーマンデー(憂鬱な月曜日)は、働く大人にも学校に通うこどもにも共通する感覚としてありますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?幸いにも今の私には全く当てはまりません。理由は単純です。「自分で決められる」環境だから。基本的に、苦しい・キツイ・ツライのは「自分で決められない」からということが大きいと思います。もちろん、その人の性格によって、人に決めてもらう方が楽だとか、自分では決められないとか、あるいは年齢・経験・状況・得意な領域や不得意な領域等によって、誰かに決めてもらう方が良い時と自分で決めたい時とが、同一人物でも織り交ざることはあります。ですので、あくまで自分の経験と性格によるところの一当事者談にはなりますが、私の場合、25年間勤めた会社人生、そんな気分になることは月曜に限らず、日常茶飯事。(体調不良や疲れがたまっている時は一旦除くとして・・・、)なにか無理難題な案件やトラブル等に見舞われた時など、曇天のような心模様になることはありました。それでも、おくびにも出さずに頑張って心を奮い立たせたり、良くも悪くも最後は責任感だけで前を向いて推し進めていったり。今にして思えば、その「頑張る」は「無理する」と同義に近かったのではないかと。でも、渦中にいたり、いわゆる集団組織の中にいたりすると、なんとか打破しなければならない、これぐらいのことで逃げちゃいけない、特に仕事の場合はお金をもらっている(プロである)から当たり前のこと、なんて自分に言い聞かせるのみならず、時としてチームを部員を励まし鼓舞して乗り切るために —伝え方は変える工夫もしながら— 立場上も言わざるを得ない、実際そのような状況は、日本中にも蔓延しているのではないでしょうか?
いつの時代もなくならない、企業における不正や不祥事も、結局のところ有無を言わせない、後に引けない無言の圧力というか、選択の余地のない恐ろしい“暗黙の空気”といった得体の知れない亡霊のような命令に強く促されて、手を染めてしまうことが多いのでしょう。(社会派小説のドラマ化でも印象的な演出で話題になることがありますよね)
つまるところ、第2回で触れた不登校生数過去最多の話にしても、こどもの頃からこういう「当たり前」とか「常識」とかいう、目に見えない非常に強い圧に晒されながら育っている現状が少なからず関係しているように思われます。もちろん、不登校の原因は様々。なので、一概に言えることではないのは重々承知の上であえて申し上げると、学校への登校(ここでは義務教育を指しています)、さらにはそこでの学びに関して、選択の余地がほとんどない、つまり本人が『自分で決めることができない』、それが“不登校”という状況を生んでいることに一定つながっていると思います。表現的にも、どんな理由であれ、行かないことを自分で決めた、判断したのであれば、“非登校”で良いはず。不登校という言い回し自体、本来登校して“然るべき”ことが”不履行”である、と全面的かつ一方的に烙印を押している感が拭えません。昔は“登校拒否”という言葉がありました。こちらは明確に“意志”をはっきり含んだ表現であり、それがけしからんことかどうかは別として、当事者の“主張のもと権利を実行している”状態をきちんと表しています。
仮に、意志もなく学校に行かない状態を捉えて“不登校”とし、意志があって学校に行かない状態は“非登校”と分けて表現しているならまだしも、押しなべて“不登校”と言うのは、そう言っている側が、なにか大事なことを見落としている、見過ごしている気がしてなりません。
さて・・・、一昨日、夏至を迎え、太陽の南中高度はピークに達しました。ここで綴る話も早くもオーバーヒート気味に、お互い熱中症になってしまいそうな温度上昇を感じましたので、この辺りでちょっとクールダウンしましょう。笑
ご一読いただきまして、ありがとうございました。
それではみなさま、よいあけがたを!
>追記
夏至のついで話。
今年の夏至の日時は、国立天文台によると6月21日11時43分(東京)とのこと。写真は、昨日わが子と近所にある民家園に遊びに行った際、真上に見た太陽を収めた写真です。夏至翌日の22日11時32分。夏至時刻とちょうど丸一日違いのニアピン賞な、晴れ渡る空と茅葺き屋根の、ハッピーサンデーな一枚です♪
