2026.05.18

オトシアナ

-206-

本日もあけました!
「タツキ先生は甘すぎる!」第6話を観ました。

前回、廃ビルから飛び降りて命を投げ出そうとした智紀を助けたタツキが、逆に自身がバランスを崩して転落して怪我を負ってしまいました。そして、搬送された病院に駆け付けたしずくは、智紀と遭遇します。待合室で「俺は最低だ。俺なんかゴミ以下だ」と話す智紀に、しずくは「大丈夫だから」と声をかけるものの、「大丈夫って何。俺は将来どうなる?この先、どうやって生きていけばいいの?」と問われ、答えることができませんでした。

やがて、退院してユカナイに復帰したタツキと、しずくが2人で話した際の言葉です。
中学生時代に存在を無視されるようになり、いじめにあったことから6年間不登校を経験したしずくは、絶対に見返してやろうと思って高卒認定を取り、ずっとなりたかった教師になったのですが、


「自分が中学の時は、苦しいことを周りに気づいてほしかったくせに。教師になったら、生徒たちのSOSに全然気づいてあげられなくて。」

「なっちゃいけない大人になってました。」

と涙ながらに語ります。

これは、以前に綴った「かつてこどもだった自分自身が、いざ大人になると自分がこども時代に親から言われたり、されたりして嫌だったコトや気持ちを”なぜか忘れ”、我が子に平気で同じことをする愚行」と基本的に同じ話ですね。

こどもの時の気持ちを忘れて、立場が変わると結局、自分も”なりなくなかった人間”になってしまっているという落とし穴にハマる大人の多いこと。
厄介なのは、自分自身が落とし穴にハマって苦しむだけならいざ知らず、実態はこどもを落とし込んでしまっていて、それに気づいてさえいないこと。

つまるところ、お年を召すごとに節穴になっていく、という落とし穴に見事ハマっているにもかかわらず、まったく気づいていないという哀れで愚かな状態に陥ることを”大人”の定義と理解すれば良いのでしょうか。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!