2026.03.31
加味
-183-
本日もあけました!
1947年(昭和22年)3月31日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領統治の下「教育基本法」と「学校教育法」が制定・公布されました。
今日は「学校教育法公布記念日」で、「教育基本法・学校教育法公布記念日」とも呼ばれますが、来年で満80年を迎えます。
ちょうど昨日、中央教育審議会の特別部会が開かれ、2030年(令和12年)度の小学校を皮切りに順次実施される次期学習指導要領の議論において、文部科学省が学校の成績評価の新たな具体案を示しました。「知識・技能」と「思考・判断・表現」の2つの評価項目のうち、「思考・判断・表現」の評価には「学びに向かう力」が加味され、「評定」に影響するという案です。
これまで、主体的に学習に取り組む態度の客観的な評価は難しく、宿題やノートの提出頻度、授業での挙手の回数など形式的なものになっていたとの指摘があり、その改善を図る議論のようです。
ここで、冒頭に登場した「連合国軍最高司令官」に提出された、「米国教育使節団報告書」から以下引用します。(国立公文書館 学習コンテンツより一部抜粋)
▼日本の教育の目的および内容
高度に中央集権化された教育制度は、仮にそれが極端な国家主義と軍国主義の網の中に捕らえられていないにしても、強固な官僚政治にともなう害悪を受けるおそれがある。教師各自が画一化されることなく適当な指導の下に、それぞれの職務を自由に発展させるためには、地方分権化が必要である。かくするとき教師は初めて、自由な日本国民を作り上げる上に、その役割を效しうるであろう。
この目的のためには、ただ一冊の認定教科書や参考書では得られぬ広い知識と、型通りの試験では試され得ぬ深い知識が、得られなくてはならない。カリキュラムは単に認容された一体の知識だけではなく、学習者の肉体的および精神的活動をも加えて構成されているものである。それには個々の生徒の異なる学習体験および能力の相違が考慮されるのである。それゆえにそれは教師をふくめた協力活動によって作成され、生徒の経験を活用し、その独創力を発揮させなくてはならないのである。
日本の教育では独立した地位を占め、かつ従来は服従心の助長に向けられて来た修身は、今までとは異なった解釈が下され、自由な国民生活の各分野に行きわたるようにしなくてはならぬ。
(中略)
職業教育はあらゆる水準の学校において強調されるべきものである。よく訓練された職員の指導の下に、各種の職業的経験が展望せられ、同時に工芸、およびその基礎たる技術および理論に重点を置くべきである。技術工および労働者の寄与にたいしては、これを社会研究のプログラムに組み入れ、かつ独創性および創造性を発揮する機会が与える〔ママ〕べきである。
これは決して、単なる押し付けのインストールではなく、非常に的を射ている提言として、成すべき要件が明確に示されていると思うのです。次期学習指導要領の議論において、児童生徒の「学びに向かう力」を問う前に、教師が成すべきこと、あるべき姿であるのかどうか、そこの評価が先にされるべきではないでしょうか。
そして、もっと根本的なことを言ってしまえば、2030年に向けた議論を今しているというスピード感それ自体が、なんの機能も果たさないことを物語っているようです。これからの5年間で、どれだけAIが加速度的な進化をし、社会が様変りしているかを微塵も想像できていない。それを加味せずに、こどもたちにアレコレ求めたところで、実態と噛み合うはずがありません。そして、依然として教科書という紙にこだわることも同義です。半年・1年先にどれだけ世の中が移ろいゆくかを考えれば、数年もかけて紙に落し込んだところで、ようやく形になった時点では遺物になってしまい、また都度アップデートもできないとなると、一体それはだれのためのものでしょう?
刻々と変化している時代という前提に立った時、たとえば今の中学3年生が2030年には大学生になってしまっていることを本気で想像して議論しているのか、甚だ疑問です。もっと根源的で本質的な中身にしていかなければ、「あんなに膨大な時間をかけて一体なんの意味があったのか…バッカみたい」となるのだけは避けるべきです。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!
