2026.03.24

意訳

-178-

本日もあけました!
昨日のテーマに纏わる「恩師の日」。ちょうどこの時期、全国各地で卒業式が行われることが多いことから、「恩師への感謝を忘れることなく生きていこう」という願いを込めて、京都府八幡市の山中宗一氏によって制定されたそうです。

別名「仰げば尊しの日」とも呼ばれ、卒業式でよく歌われてきた”「仰げば尊し」の歌詞のような感謝の気持ちを恩師に手紙で伝える日”として、卒業シーズンにあたる3月24日を記念日にしたとのことです。

如何にも日本的な歌という印象がありますが、実はアメリカの歌「Song for the Close of School」が原曲だということが2011年に判明したのです。ただ、直訳すると「学校の終わりの歌」みたいな感じですから、最も印象を左右するタイトルが日本語訳になった途端、こうも違うとは驚きです。

映画の原題と邦題が全然違うなんてことも昔はよくありましたが、この歌もまさにそんな感じですね。しかも、歌詞の主旨も主に友人や教室との別れを歌ったものに対して、日本語の歌詞はタイトルに続いて「仰げば尊し 我が師の恩」と歌い出すのですから、当時の教育の立ち位置がどこにあったのかは一目瞭然です。

実際、明治17年(1884年)に文部省が発行した「小学唱歌集 第3編」に掲載されていたもので、今では時代とともに歌われなくなってきましたが、理由は様々あるとしても、まあそれはそうだろうと思います。

映画にしても歌にしても、意訳というのは時として怖さがあると感じます。意訳の「意」がどこに立脚しているのか。仮に、英語にはない日本語独特のニュアンスに変換する必要性があったとしても、果たして本当にその”意味”を表しているのか。そういう意味に解釈した訳者の受け取り方次第、もっと言えば、こういう意味として伝えたいという明確な”意志”が強く働いている面がないか。

もし、元来の意味から大きく離れた都合の良い解釈を元に人の意識を統制しようとしているとすれば、それは重大な違約でしょう。でも、そんな時、やはり自己防衛として大切なのは、自分自身で一次情報を確かめ、触れることなのだと思います。AIが云々と言う前に、人が言ったことを鵜呑みにするのはそれ以上に危険ではないかと、改めて認識する必要があると感じます。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!