2026.03.17

征服

-174-

本日もあけました!
今日は、‟み(3)んなでSDGsの「17」の目標を考えよう”という提言から制定された「みんなで考えるSDGsの日」だそうです。

個人的には、17の目標のうち、社会全体の大きな潮流であり、学生の間でもよく議論にのぼる「Gender equality(ジェンダー平等)」に関することで思うところがあります。いわゆる「制服問題」です。
文部科学省HPにも「性的指向等を含め、個々人が持つ多様な背景に関わらず、全ての人がお互いを尊重し、誰もが生き生きとした人生を享受することのできる共生社会を目指すため、文部科学省はLGBT等、性的マイノリティに関する施策の充実に取り組んでいます。」とありますが、そもそも”詰め襟”や”セーラー服”の歴史的背景はどうなっていたのかをみてみましょう。

▼文部科学省HPより抜粋
【男子学生の制服はいつ頃誕生したのだろうか】
・男子学生の制服といえば、かつては黒の詰め襟が一般的だった
・明治初期から洋式の制服を導入する学校も一部にはみられたが、一般的には、欧化政策をすすめる森有礼文部大臣のもと、1886(明治19)年の学校令をきっかけとして、全国的に採用されるようになった
・森有礼は、早くから、兵式体操という軍隊で用いられている体操を学校で実施することの必要性を説いていた
・学校令によって、中学校や師範学校でそれが定着するようになると、運動に適した服として、(陸軍式と海軍式に分けられる)に似た洋式の学生服が制服とされるようになった
・当時は中学校以上の学校に進学する者は少数であり、制服を着せることで、エリート意識を育てるという意味もあった
・さらに、服装を統一することによって、学校側が学生・生徒を管理しやすくなった点もあげられる

【女子学生の制服はいつ頃誕生したのだろうか】
・東京の高等師範学校女子部(現在のお茶の水女子大学)が、1886年に洋式の制服を制定した
・女子の場合は兵式体操とは関係がなく、政府の欧化政策の影響が強い
・各府県の尋常師範学校女子部で教員・生徒の洋装化がすすめられたが定着せず、女学校やのちの高等女学校では和服が一般的だった
・女性の場合、洋服は東京や大阪などの都会でも、ほとんど普及しなかった
・高等女学校で、洋式の制服が普及するようになるのは、大正末期から昭和初期になってからのこと
・現在、セーラー服を制服としている学校があるが、セーラー服は、本来イギリスの船員服だった
・それが19世紀末の欧米諸国で女子の体操服として着用されるようになり、日本でも1920年代に採用
・やがて昭和初期の1930年代になって、高等女学校などの制服として広く導入されるようになった

そして、こう締め括られています。

・学校の制服の誕生は、政府の政策が大きく影響しており、学生たちに学校への帰属意識を高めさせること (集団のなかの一員であることを自覚させること)が、学校教育の重要な目的でもあった

改めてこのような成り立ちを踏まえると、昨今のセーラー服かブレザーか、パンツかスカートかなど選択肢を増やすことよりも、そもそもセーラー服は水兵という職業の男性の作業着だった原点に立ち返れば、男女ともにセーラー服にするのが良い気がします。男性の服がいつしか女性の服になり、それが男女の差として好ましくない現状を生んでしまっているのならば、もう一度男性の服の意味合いも取り戻して性別に関係なく一律に着用するのが、色々な意味で合理的に思えます。
ですが、それ以上に非常にシンプルな考え(突っ込み)が浮かんでいます。「制服が学生を管理するためのツール」としての意味合いが大きかったことを鑑みると、そんな制服は完全廃止すれば良いだけのことだと。本質に立ち返らずに、巷に溢れる対応のように選択肢を増やして自由度が増したり一定の意志が尊重されたりしたところで”上っ面”でしかなく、「管理下」である状態になんら変わりがないからです。あえて例えるなら、完全に不自由な囚人か、かなり自由を認められた囚人かの違いであって、「監獄」に閉じ込められ、「配下」に置かれていることに違いはないということです。

国や学校、先生といった大人たちが「学生」「生徒」「児童」などと”子供たちを一括りに征服する”のに役立っていたものなど、その考え諸共一掃すべきでしょう。”ジェンダーの差”という以前に根本的な”ヒューマンの差”をなくすべく、”こどもをひとりの人間としてみる”意識の大変革へ踏み切り、制服に覆い隠された核心に触れることこそが、真に必要な手立てなのではないかと思います。

ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!