2026.01.21
筆
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本日もあけました!
真言宗の開祖である弘法大師(空海上人)が高野山奥の院に入定(入寂)された命日3月21日に因み、毎月21日は弘法大師の縁日であることから、1月21日は新年最初の縁日「初大師(初弘法)」と呼ばれています。
縁日には屋台や出店が立ち並び、多くの人で賑わいますが、神仏の世界とご縁のある日ということから、縁日にお参りするとご利益があるとされています。特に年初の「初縁日」は特別な縁日ですので、帰省や旅行、あるいは静養して年始を過ごしているうち、初詣に行けず仕舞いになっていた方にとって訪れるのに好い日でしょう。
縁があると言えば、身近なことわざがありますね。
「弘法筆を選ばず」
「弘法も筆の誤り」
一見、対照的にも感じる2つのことわざですが、私なりの解釈も含め、1つの理が見えてきます。
最近、「弘法筆を選ばず」に関して、実は「選んでいたらしい!?」という説がありますが、私にはその事実を知る由もなければ、はるか1200年も前のことですから、本当のことなどだれにもわからないとも言えるでしょう。ただ、個人的には「そりゃ選んどるに決まっとるやん!」と思います。肝心なのは、そんな表面的なことではなく、深層の部分だと考えるからです。
筆の名人が筆を選ばないのは、その能力の高さ故、道具の良し悪しに拠らず、素晴らしい結果を出せるという以上に、そもそも自身の力量をわかっているからこそ、良い筆に相応しくない場合には実力不足の身を委ね感謝の念で動かす、逆に悪い筆の場合には、自分に力があれば見事な筆致で書を著すことができるはずだと受け止めて試練を乗り越える、その”高い精神性”を備えた名人だからではないかと。
たとえば一流のアスリートなど、試合が開催される場所によって、いくら自身の調子や愛用している道具の状態に万全を期していても、いつもと勝手の違う環境では上手く力を発揮できないことがあります。ホーム・アウェーの有利不利が働くことは、特に国まで違ってくればなおさら大きくなるのは否めません。それでも、最終的にはその環境下で結果を出すしかなく、言い訳をしてもなんにもならないわけです。ただ、当然ながら、それらを想定した練習・準備も最大限した上で、道具も最善のものを選び臨んでいるに決まっています。
そんな鍛練を重ねた「名人」であっても、誤ることがある。人間だれしも、日によって頭や心、身体のコンディションなど絡んで失敗は起こり得る。機械だってエラーや故障があるのだから、生身の人間においては、プロであろうが一流であろうが、”まさか”ではなく”当たり前”です。失敗はだれでもする。けれども、失敗自体が悪いことではなく、失敗からなにをまなべるか。そこに圧倒的な差が生まれる。だから、”誤ることを前提”として最善の努めを重ね続けるための自戒を込めた「弘法も筆の誤り」であり、名人を揶揄・賞賛するだけの意味に留まらないのではないでしょうか。
どこまでいっても自分自身を磨くことに真摯に向き合えているかどうか。問題は筆でもなければ、誤りにあるのでもなく、”自分の中にある”として内省自省をできる崇高な人は、さらに自らを高めていけるのだろうと思います。
詰まるところ、人との競争よりも、自分自身との攻防でしかないのでしょう。
ぜひ初縁日に赴き、”日々是旦(ひびこれあけがた)”とあたらしい自分の可能性をあける精進をされていたであろう弘法様にあやかりたいものです。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!
