2026.01.15
タイシ
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本日もあけました!
今日は、かつて成人の日でしたね。今から150年前の1876年(明治9年)に公布された太政官布告を引き継ぎ、1896年(明治29年)に民法が制定されて以来、成年年齢は20歳と定められてきましたが、2022年(令和4年)4月1日より18歳に引き下げられました。
この年齢の設定でよく議論に挙がるのが成人の定義です。以前は20歳になると飲酒も喫煙もできるようになり、”晴れて大人の仲間入り”という象徴的なライフイベントとしてのわかりやすさがあったのが、18歳に引き下げられてもそれらは据え置きのため、あまり実感が湧きずらいズレが生じているのでしょう。ただ、その辺りは色々な観点が入り組み議論が尽きないところではありますので、またの機会に譲るとして、個人的にほかに強く感じるところを記します。
民法が定める成年年齢は、「一人で契約をすることができる年齢」と「父母の親権に服さなくなる年齢」の2つの意味があり、成年になれば親の同意を得なくても自分の意思で様々な契約ができるようになるのだそうですが、後者の意味に当たるものとして
「自分の進学や就職などの進路も自分の意思で決定できるようになる」
ということが挙げられています。
確かに経済的に自立できていない状況においては、親の意向や判断が大きく作用することも理解できます。ただ、それを言いはじめたら、18歳だろうが20歳だろうが、経済的に自立できていない子は山ほどいるというか、むしろ日本においては大多数であることに変わりないのではないでしょうか。
逆にこれまで進学の進路を20歳になるまで自分の意思で決定できないことを公然と制約してきたとも受け取れ、あまりにも酷い縛りだと思ってしまいます。20歳ならもう大学生になっている年齢ですから、その先の進路で決められる余地なんて、せいぜい編入・退学や大学院、留学など限られたものしか残っていないですよね…。
つまり、親権という大義名分のもと「20歳になるまで自分の道を決めることができない」と、国の法律で決めていたわけで、それが18歳になったところで、せいぜい大学進学についての自由度ができた程度でしかないということになります。
こどもたちからすると、そんなんで自分の人生を自らの意志と足で歩めるとは到底思えないでしょう。まさしく、なにもできない危うい信用できない「子供扱い」をしているだけにしか感じられません。
これからの時代、大学在学中の起業なんてザラになり、高校生でも中学生でも、場合によっては小学生だって起業可能になる、色んな選択肢と可能性が広がる環境になっていく時に、このような微妙な改変は本質的ではないように思えてしまいます。
「Boys, be ambitious !」と言われても、「どんなに大志を抱いても、ココ日本では大して実行できないんですよ…」と諦めの境地になってしまうのが落ちではないかと。
こどもの力を可能性を信じて解き放ってあげられる社会になったとき、むしろ成人の日なんて”子供扱い”の産物の日がなくなっていることを期待します。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!
