2025.11.21

フ・フ・フ

-100-

本日もあけました!
連日取り上げているテーマになりますが、不登校生の割合について思うところがあります。以下のように見方を転じてみてはどうかと。

まず、小中学生の不登校割合は、その数字の大きさだけで言えば、まだまだ「少数派」ということになります。小中学生全体では3.86%、最も多い中学3年生でも7.5%ですから、1割に満たない数です。
そこで、似たような1割未満の事例を挙げてみます。

▼左利きの実態は?(出典:博報堂生活総合研究所)
「2025年4月に首都圏・阪神圏・名古屋圏の20~69歳男女1,500人を対象としたインターネット調査では、右利きが92.3%。つまり、左利きは7.7%という結果となっており、右利きに大差をつけて左利きの方が少数派であることがわかります。」


との実態があります。

「左利き7.7%」は「中3の不登校7.5%」とかなり近いこともあり、1割に満たない同士を重ね合わせて、こんな見方をしてみました。
・「左利き」は、生まれ持った素質
・しかしながら、社会は基本的に「右利き」を前提に設計されている(駅の改札やゴルフ場、カメラのシャッターボタン、ハサミ、習字など)
・社会に合わせるため、本人の意志とは関係なく、大人によって「右利き」へ矯正される

右利きを「登校(生)」、左利きを「不登校(生)」に置き換えても違和感がないのは、私だけでしょうか?
・「不登校(生)」は、生まれ持った素質
・しかしながら、学校は基本的に「登校(生)」を前提に設計されている(教室やランドセル、制服、教科書、時間割、宿題など)
・学校に合わせるため、本人の意志とは関係なく、大人によって「登校生」へ矯正される


でも、「不登校(生)」が生まれ持った素質というのは言い過ぎではないか(左利きと違って、後天的な環境による場合など)とのツッコミがありそうです。
確かに不登校の原因も様々なことから、一概に「素質」と言い切ってしまうのは語弊があるかもしれません。ただ、”例え”としての親和性から、もう一声「左利き」を考察してみます。


・昔に比べて、身近な「左利き」の存在が明らかに多くなった
・特にスポーツの世界など「左利き」の活躍も目立つ

これは実際に、昔に比べて無理やり「右利き」へ矯正されることなく、「左利き」のままで居られる人が増えていることがあるのは間違いないでしょう。結果、「左利き」が活躍するケースが増えている。

・昔に比べて、身近な「不登校生」の存在が明らかに多くなった
・特に芸能界の世界など「不登校生(経験者)」の活躍も目立つ

もちろん、不登校に至ったケースには、積極的不登校(明確に行かないという意志や勇気を実行)と消極的不登校(本人にとっては、行きたいのに行けない不可抗力による事態)もあることから、完全に重なる例えにはなり得ていないでしょうけれども、「左利き」も「不登校」も昔と今とでは少なからず”世の中の価値転換”が起きたことによって顕在化してきていると言えるのではないかと考えています。

きっと「不」という否定語の表現であることからもマイナスイメージを持たれる傾向が(不登校生の親も本人も)あるため、そんなに肯定的に受け止められないかもしれませんが、私は「左利き」の時代がやってきたように「不登校生」の時代が到来してきていると強く感じています。
登校において「不」を選んだことが、人生においては「富」になる可能性は大いにあると。
生まれ持った測定”不”能な力が、きっとだれも成し得なかった最長”不”倒の距離を打ち出すほどの大飛躍を遂げる「不登校出身者」たち。ネガティブイメージなんて吹っ飛ばせ!!


ご一読いただきまして、ありがとうございました

それではみなさま、よいあけがたを!