2025.08.07
ギョギョギョの
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今日もあけました!
本日取り上げる『ねこだまなおとな』は、皆さんギョ存知の、FISH BOY「さかなクン」です。
実は、「ねこだま」の構想当初からその象徴的な存在として、ずっと念頭に置いてきた方です。
さかなクンは、ハイハイするかしないかくらいの赤ちゃんのころから、いつもなにかを夢中で描いていたそうで、歳を重ねていく中で好きなものが見つかる度に、それを絵に描いてたということです。
行き着いた先は「さかなクン」ですが、そこに至る道のりにおいて、色々な”○○クン”の変遷をたどってきた生い立ちを、簡単に列記してみます。
・「トラッククン」
生れて初めて夢中になったものは、トラック。恥ずかしがりやのおとなしい性格で、運動はからきしダメ。静かで目立たないタイプの男の子で、小学校の休み時間もトラックの絵を描いて遊んでいた。学校で友達がいないとか仲間外れにされていたとかではなく、それがいちばん楽しい遊びだったから。なかでもゴミ収集車が大好きで、走っているのを見かけると追いかける始末。ある日、お母さんが連れて行ってくれたゴミ収集車の車庫は”ド迫力の楽園”で、お母さんの満足気な笑顔とともに鮮明に目の奥に焼きついている、生まれて初めての「感動体験」だった。
・「妖怪クン」
トラックと同じくらい夢中になったのは妖怪。水木しげるさんの漫画で初めて見た時の衝撃は未だに覚えている。小学2年の頃、妖怪の豆知識を披露して教室のみんなから感心してもらえるくらい詳しくなっていた。お魚に出会わなかったら、「ようかいクン」と呼ばれていたかもしれないと自認するほど。
・「タコクン」
友達が描いたタコの絵を見て夢中になり、頭の中はタコ一色に。寝ても覚めてもタコタコタコ。図鑑の写真を見ながらタコの絵を描くように。夕食は毎日のようにタコをお願いするも、お母さんはイヤな顔ひとつせず、手を変え品を変え、1か月ほども毎日タコ料理を創り続けてくれた。兄も笑うだけでグチひとつ言わずに付き合ってくれた。生きているタコに会いたくなって、日曜日になるたびに水族館へ連れて行ってもらい、入館してから閉館までずーっと、タコの水槽の前から片時も離れない(しかもそのほとんどの時間、タコ壺に隠れていてほんの少ししか見られない忍耐勝負)にもかかわらず、「タコっておもしろいんだねぇ。お母さんもどんどんタコが好きになってきた。」と言ってくれ、タコの魅力に共感してくれたことが嬉しかった。
・「さかなクン」
ある日、どうしてもタコが見たくて終始へばりついて見ていたのに、結局その日は”目玉”ぐらいしか見えず、溜息交じりに帰る道すがら、お母さんが「残念だったわね。でも、タコさん以外にもたくさんお魚がいたのよ。」と、水族館で買った下敷きをくれたお陰で魚全体に興味が移ったのが「さかなクン」になる契機に。はじめは「ウマヅラハギ」に一目惚れし、完全に頭の中はウマヅラハギで埋め尽くされた。
嘘みたいな話として、中学では吹奏楽部を”水槽学”部と間違って入部してしまうというエピソードもありますが、音楽も好きだったさかなクンはそのまま入部するなど、絵や魚や音楽といった数多くの”好きと得意と出会い”が折り重なって豊かな才能が育まれ、その力をいかんなく発揮するに至ったのです。
さかなクンの『ねこだましい』な逸話は、ほかにも挙げればきりがありませんが、そんな”さかなクン誕生”に欠かすことのできなかった存在として -先のエピソードにも見え隠れする- お母様抜きには語ることができません。
さかなクンは勉強がからきしできなかったため、家庭訪問の際に担任の先生から「絵はすばらしいけれど、授業中も魚の絵を描いてばかりでまったくついていけていないので、学校の勉強もきちんとやるように指導してください。今後困るのはお子さんです。」と注意されたそうです。ところが、お母様は意に介することなく「あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きだから、それでいいんです。」「成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんな一緒だったらロボットになっちゃいますよ。」と答えたそうです。
ご名答としか言いようがありません。「犬魂」どころか、それこそ量産される「魂なきロボット」になってしまっては、どうにもなりませんよね。
さらに「絵の才能を伸ばすために、絵の先生をつけて勉強をさせてあげたらどうか」と先生から言われると、「そうすると、絵の先生と同じになってしまう。自分の好きなように描いてもらいたい。」と即答するほど一貫した態度で、なんとも明快なプリンシプルをお持ちの方です。
一緒にいても一切口を出さず、お店にお願いする時も全部自分でやらせる。常に後ろで見守っているだけで、「なにごとも自分で経験して学んでもらいたかったのではないか」とさかなクン自身も振り返っています。傍で見ていて失敗するとわかっていても、先に手を差し伸べたり、その原因や解決策をアドバイスすることは皆無だったという徹底ぶりで、まさに失敗することやそこから自分で学んでいく大切さを”教えないで教える”という超高度な教育を実践されたのです。
また、さかなクン自身、「一度たりともお魚好きを自身で恥かしいとか、変だと思うことがなかったのは、お母さんがいつも背中を押してくれたことが大きかったようです。」と語っている通り、息子の個性や特性を全面的に信じて伸ばしてあげたお母様の信念の強さは並々ならぬものがあり、畏怖の念を抱きます。
2010年には絶滅したと思われていたクニマスの生息確認に貢献し、海洋に関する普及・啓蒙活動の功績が認められた結果、「海洋立国推進功労者」として内閣総理大臣賞を受賞し、東京海洋大学から名誉博士を授与されるなど、その目覚ましい成長と活躍ぶりは、きっとお母さんですら、想像もできなかったことでしょう。
文字通り「生みの親」「育ての親」として、さかなクンに負けず劣らず『ねこだましい』なお母様と言えるでしょう。
魚類に精通した息子と「ギョギョギョの母上」の、比類なき親子に脱帽です。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!