2025.07.28
ねこに従え!
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今日もあけました!
今や人間がねこを哲学の対象としていることを前回確認しました。ねこは人間に飼われていても、決して配下にはならない。むしろ、いつしか人間を魅了し、翻弄し、手玉に取ってしまうほど、人心掌握に長けている。それどころか”まなびの対象”に昇華させるまで完全に人間を従えるに至った、こんな生き物、ほかにいるでしょうか?
哲学の「哲」は”賢い”や”道理に明るい”といった意味だそう。知識よりも知恵がある、つまり学力よりも生きていく上で活きる力が備わっているといったところでしょう。賢いという言葉の面白いところは、ずる賢いなんて言い方がありますね。ずるいけど、結局は賢いと認めざるを得ない。要領が良いことや人が思いもつかなかった、仮に思い浮かんだとしても実際にやろうとは思わなかったやり方で -「悪知恵」が働くなんて言われ方をすることもあるけれど- 軽々と成果を上げてしまうようなことだと思います。でも、それこそ悪が付いても「知恵」である、この点は大きいのではないでしょうか。知識が働くとは言わない。知識は有るか無いかだけの話。(余談ですが、英語の「clever」にも「賢い」の意味だけでなく、「ずる賢い」という意味も含まれているそうです)
もちろん、結果を出せばなんでもアリということがまかり通ってはなりませんし、それこそ犯罪のような悪事は許されません。そういう意味で、正々堂々であることは大切ですが、時として「こうでなければならない」といった凝り固まった柔軟性を欠く思考や行動で自らを縛り付けていることに気づかずに一本取られてしまったのを「ずる」とやっかむのは違うと思います。
ねこは、反則ではない、奇想天外とも言うべき、鮮やかなまでに予測不能な動きを自ら起こすからこそ、人知を超えた”まなびの対象”足り得るのでしょう。そのような見地に立って冷静に捉えれば、調教された犬に哲学を望むべくもないのは、明らかです。
それにしても、「優秀」や「頭が良い」という言い方、よく耳にすると思います。日本人は基本的にそういう見方が好きで、頻繁に口にする表現です。それこそ「ずる」が付かない、正統派な印象である気がしますが、要は「学力」とほぼ同義の使われ方が多いと感じます。しかも、「あの人は○○大学を出ているから頭良いんだね」なんて、学歴から断定するのは、学力以外のなにものでもありません。
~少し話が逸れますが~とても不思議なことに、何の疑問もなく大学名で一括りに話していることも多く、実際には学部学科によって所謂偏差値も大きく違ってくるのに、大学名だけで「凄い!」と平気で語り切る、謎のブランド信仰な学歴社会…。
学力が高いという意味での「頭が良い」は、単純に勉強が得意、覚えたことを試験するのに長けていることは言い得ていても、実践も含めた知恵の観点で頭が良いとは限りません。もっと言えば、人の気持ちがわかるかどうかの感受性はコミュニケーション上、非常に大事で、たとえば患者の気持ちのわからない医者は、果たして有名大学の医学部を卒業したからといって真に「頭が良い」と言えるでしょうか?残念なことに、”そっち系”の人もかなり多いと感じます。
生きていく上で、仕事をする上で、本当の意味で賢いかどうかは、実際にその人と一緒になにかをしてみたり、仕事をともにしたり、直に見て触れ、確かめなければわからないはずなのに、非常に狭くて浅い判断指標でもって断言してしまう短絡的な人の、これまた多いことに、驚かされます。
哲学の域に達するには、広大さと深遠さを持ち合わせている、簡単には言い尽くせない存在でなければ無理でしょう。その点、人間のこどもも充分にその対象に値する、あらたな時代のあたらしい感性、本質を見抜く純粋で鋭い直観力、生まれ持ったはかり知れない驚きのチカラを秘めているのであって、おとなはこどもをしっかり哲学する必要があるのだと思います。特に”大人に成り下がってしまった”人たちは、「老いては子に従え」という諺に倣って、「激動の時代に於いてはねこ(眠れる子)に従え」だと思います。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!