2025.07.11

優秀という名の幽囚

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今日もあけました!

前回、”信じる力”として、大谷翔平選手や栗山英樹さんの話をしました。ここ最近、アスリートの世界では、信じる力で自分らしい道をあけひらく素晴らしい選手が、数多く生まれている潮流があるように感じます。
そうです!”人明開花の音”がします♪

当然ながら、時代とともにデータに基づいた分析や科学的なトレーニング等、文明の利器の進化とその最大活用による圧倒的な進化ということはベースにあるでしょう。でも、それにとどまらず、これまで先人が切り開いた道筋の恩恵を受けつつも、「こうでなければならない」といったあるべき姿という呪縛を解き放ち、自由に個々の可能性をあけひらく、とてもワクワクする驚きのパフォーマンスを発揮する若者がどんどん現れ始めていると感じます。たとえばオリンピックで躍動する10代の若者たち。なかでもスケートボードにおける活躍は目を見張るものがありますよね。もちろん、競技によっては体重が軽い方が有利にはたらくといったことから、若い年齢の選手の方が活躍できているものもいくつかあるでしょう。ただ、一方で若者は年齢的に経験値が少ない。単純にフィジカルの有利さだけでは難しい、むしろメンタリティーが大きく作用する舞台ではなおさらだと思います。そんな彼らが大舞台にもかかわらず、一見、まったく緊張していない、動じていないように映るのは、短絡的な浅いレベルの”楽しい””面白い”を超えて、もっと上手くなりたい、もっとできるようになりたいという内なる欲求が、プレッシャーをも上回っているからではないかと思えます。また、勝ち負けだけの人との競争・比較以上に、”過去の自分を少しでも超える”という絶対的な成長を楽しむレベルだからこそ、縮こまることが少ないのではないかと。”努力”さえも、苦行としての努めではなく、つらいも苦しいも丸ごと一緒くたにした高次元の”楽しい””面白い”に昇華できているのだと感じます。それがあるから、自身のパフォーマンスや結果を上回るライバルに対しても心からの賛辞を贈ることができる、自分にも誇りを持って、互いに讃え合える姿があるのでしょう。スケートボード競技は、人と違う独自の技をどれだけ繰り出せるか、もっと言えば、それを大舞台で挑戦・披露できるか、小さく纏めてメダルを獲りにいくことよりも、選手同士が大事にしている矜持であり、いわば本質的な絶対的な評価としてお互いを観ているのです。
ちなみに、オリンピック自体には年齢制限がないらしいんです。競技によって年齢制限で出場できないケースがあるのは、各スポーツの国際競技連盟(IF)が定めているのであって、国際オリンピック委員会(IOC)自体は制限を設けていないんです。この年齢に縛りがないことも素晴らしいことだと思います。こどもとかおとなとかそんな概念は関係なく、その持てる素晴らしい力をもってすれば、だれでも舞台に立つことができるということは、それに向かってどんどん突き進める可能性があるということです。
一方、学校教育はどうでしょう?まだ習っていない漢字を使ったら怒られる、計算が好きで得意で自分でどんどん進められるこどもでも、金融業界の護送船団方式のように、進行速度を調整させられる。昨今の「個別最適な学び」は、学習指導要領といった一定の範囲内における進捗管理の域を脱していないと思えてなりません。いわば、犬が首輪とリードをつけられて、速く走りたくても手綱を引かれてブレーキをかけられるような状態です。実際問題、わかりやすく表現してしまえば、学校教育は極めて”優秀な犬の養成所”あるいは”総じて優秀な犬の集団をつくり上げる場所”に近いものと言えるのではないでしょうか?先生と生徒という絶対的な主従関係のもと、言うことをちゃんと聞き、決められたことを決められた通りに行動し、明るく元気に正しく振舞い、ご主人様を常に喜ばせることが求められる。それができていると「優秀」と評価され、可愛がられる。逆に言えば、どんなに能力が高くても、扱いにくいと思われたら疎んじられかねない。だから、そういう世界や大人達に対して、バカらしく感じたり、”優秀な子”を演じるのに疲れたり、耐えられなくなって学校に行かなくなるこどもが出てくるわけです。出る杭は打たれるというよりも、その能ある爪(学校で決められた科目等に限らない)を削がれる思いではないでしょうか?

おとながおとなたる所以は、こどもを客観的にみてあげることだと思います。もちろん、おとなである先生も親もいち人間である以上、感情が作用して邪魔をしてしまうような、やむを得ない場面はあるでしょう。でも、こどもを育てる上で、少なくとも教職という立場に立つ以上は、「感情の生きもの」の域を超えて、常に本質に向き合うという、こどもを”深く観入る力”やその持てる能力を”引き出す力”を磨かなくてはならないと強く感じます。

わたしも実際に犬を飼っていた経験もあり、犬は大好きです。だからこそ、ご主人様の顔色を見て、その心まで読み取って行動できるような「優秀で可愛い、とても”頭の良い”犬」は、もしかすると「自分にとって、とても”都合の良い”犬」になっている恐れがあることを冷静に顧みる必要があると思うのです。その犬は、本当に日々幸せな時間を過ごせているのか?と。

ご一読いただきまして、ありがとうございました。

それではみなさま、よいあけがたを!