2025.07.01

AIは人より出でて

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7月があけました!

写し鏡シリーズ(笑)の最後を締めくくるのは、今を時めく人類最大の発明、人工知能「AI」。これこそ人間の、社会の写し鏡だと私は思っています。

「生成AIには重大な誤答が生じる」ことがあるという、ネガティブな側面がよく槍玉にあがりますが、むしろ人間自身へかえってくるブーメランのような話に思えてなりません。

まず、AIは人間が全く太刀打ちできない膨大な量のデータを読み込み、それを元にとてつもないスピードで生成回答してくれるわけですが、そのデータの中に、そもそも「誤ったデータが存在しているから回答に誤りが含まれる」のは否めないでしょう。

読み込ませている大元のデータ自体に、人間が生んだ誤った情報が含まれている場合、至極当たり前の話です。そもそも”不完全な”AI自体を人間が生み出し、かつ読み込ませるデータも人間の生み出した”玉石混交な”情報であるなら、起こるべくして起こるだけのことで、なんの不思議もありません。言うなれば、車のバックミラーではないかと。

人間が進んできた、通り過ぎてきたこれまでの道のりという過去の所業。それを体現しているに過ぎないAIは、人間の過去を残酷なまでにはっきりと映し出す鏡なのではないかと。

次に、AIがまことしやかに作り話をする現象も挙げられる訳ですが、まるで人間らしいと感じます。日本国内に限らず、世界も含めて信じられないようなデマや噂が、根拠がないどころか、時には意図的に捏造されて拡散される、想像か妄想か、常軌を逸したかのような情報が出回り、またそれを鵜呑みにする人が多くいるというのが人間社会。なんとまあ、見事なまでの写し鏡ではないかと。AIの技術的な向上は急がれますが、皮肉にも人間の真似をしているようで、またそれに目くじらを立てる人間という構図が、一歩引いてみてみると、なんだか笑い話のようで滑稽に見えます。実際問題、至って真面目も真面目、真剣そのもので重大な誤りを定着させては訂正してきたのが、人類の歴史ではないでしょうか?しかも、それで命を奪われた人までいたのですから、取り返しのつかない、とんでもない過ちを犯してきたわけです。

その時代時代で信じられていたこと、絶対的に正しいとされていたことが、天地がひっくり返るほど逆転した事象は、科学や文明の進歩・発展とともにありました。天動説と地動説。日本における戦時下の軍国主義と戦後の民主主義に伴った正反対の価値観や教育。最近では、日本の歴史の教科書なんかも個人的には充分衝撃でした(あれだけ一所懸命、覚えさせられた年号や日本最古の貨幣等々)。

新たな発見により情報更新されること自体は、人類の弛まぬ努力と研鑽の賜物でありますが、当時、学校の成績や受験のために必死になって覚えたことが、ましてや生きる上での羅針盤のように常識として心の底から信じてやまなかったことが、後になっていとも簡単に手のひら返しをされたとしたら・・・。「あの時間はなんだったんだ⁈」「人生を返してくれっ!!」と叫びたくもなるでしょう。ましてやそれを厳しく指導して半ば強制的に覚えさせ行動させる先生や親、指導者は、一体なんなんだと。それが根底から覆されるようなことだった場合には、全員がバカをみることになりかねません。

このような間違いだらけの人間は、今やAIの出来損ないに陥ってしまうほかないのか。コピーであるはずの写し鏡の方が圧倒的に優れていて、隷属するしかないのか。人間がAIに多くのことを委ねるようになってしまったら、確かにそうなるのかもしれません。

だからこそ、「人明開花」の時なのではないか?AIへの抵抗や対抗ではなく、不完全な人間だからこその、人間らしい学びや力はどこにあるのか?あすはどっちだ⁈

ご一読いただきまして、ありがとうございました。

それではみなさま、よいあけがたを!