2025.06.27

鏡よ鏡

-7-

今日もあけました!

こどもは、「大人の」「親の」写し鏡。このことを、棚に上げてはならないと思います。

デジタルに対する批判的な評価として、知識の定着面や視力低下の話がよく挙がります。

確かにそういう側面は感覚も含めてあるでしょうし、なにより尤もらしいと思わせます。

でも、率直な疑問も湧きます。知識の定着は紙の方が良いのであれば、大人が日々取り組む大切な仕事こそ全部紙でやるべきではないのでしょうか?こどもだから、大人だからなんてことはあるのでしょうか?それこそ、かつて紙に慣れ切った大人たちが職場におけるデジタル化へのシフトを迫られた際、その抵抗理由として似たようなものがあったと実際の体験としても記憶があります。「紙の方がメモが取れて良い」「画面だけで見せられても頭に入ってこない」なんて。これこそ、高齢化の進む日本がなかなかデジタル化しきれない、スピードを上げられない大きな一因としてあると言えます。はっきり言って、普通にこどもの頃からデジタルがベースになっていれば、そのような心理的抵抗や負荷はなくて済むはずです。実際問題、いわゆるデジタルネイティブと称される昨今のこどもたちは、だれに教わるでもなく、あらゆるデバイスやその中にあるソフトまで難なく使いこなします。

また、環境のことはどう考えるのか。企業は環境負荷を減らす努力を世界的潮流のもと強いられ、全体として紙の使用は激減しました。例えば、こどもたちとSDGsをテーマに探究学習する際、この点どう説明するのでしょうか?実際にはエコバッグの矛盾のように、デジタル化もその消費エネルギーの問題等、精緻かつ全体と長期の計算に基づく数値比較を持ち合わせていなければ、あるいは不測の事態含めた状況に応じても変わってくるため、非常に難しい面があると思いますが、そういうことも含めて、なにが本当に正しいのか曖昧にしたまま、ダブルスタンダードのような形で、社会全体ではデジタル化、こどもの教育現場では反デジタルというのは、物凄く違和感があります。

特にデジタルへのネガティブキャンペーンを張る方々へ伺いたいのは、「スマホを観ないんですか?」「一日何時間見たり使ったりしていますか?」です。中には、スマホは全く持たない、ほとんどデジタルデバイスは使わない、という方もいらっしゃるでしょう。

総務省HP によると、『2023年の情報通信機器の世帯保有率は、「モバイル端末全体」で97.4%であり、その内数である「スマートフォン」は90.6%である。また、パソコンは65.3%となっている。

まあ、ほとんどの人は持っている、使っているわけですよね。この手の話の時に思い浮かぶのは、まんが日本昔ばなしの一休さんのとんち話。

”京のはずれに安国寺というお寺があり、一休という頓知のきく小坊主がいた。寺の和尚は甘いものが大好きでいつも一人でこっそり水飴を舐めており、これは子どもが舐めると毒だと嘘を言っていた。

ある日、和尚さんが出かけたあとに、みんなで水飴を全部舐めてしまう。和尚さんが帰ってくると、一休は、「大切な硯を割ってしまったので死のうと思って毒を食べたがまだ死ねない」と言い、和尚さんを呆れさせた。”

あえて説明はしません。笑

あなたの目の前のこどもたちは、一体だれの写し鏡なのでしょう?(ポクポクポクポクチーン!)

ご一読いただきまして、ありがとうございました。

それではみなさま、よいあけがたを!