2026.05.08
不能
-204-
本日もあけました!
ゴールデンウイークで少し間が空いてしまいましたが…、先週末の「タツキ先生は甘すぎる!」第4回放送のことを綴ります。
前回からの話が続きます。「ユカナイキャンプ」の途中で母親と自宅に帰ることになった寧々が自室に籠って暴れ出し、どうして良いかわからない母親から電話が入ってタツキは家へ駆けつけます。ところが部屋の前まで行ったものの、我が息子・蒼空(演じる山岸想さん)との過去に重なり、結局なにもできずに帰ってきたのでした。
蒼空のことを想うが故の空回りをしてしまったかつてのタツキのように、寧々の両親もこどもへの期待や想いが空回りして悪循環に陥っている、あの時の自分と似ている気がする、とユカナイ代表の三雲に伝えます。すると、三雲がやってみたいアートセラピーがあるということで、両親をユカナイに呼ぶことになりました。そこで行ったのは「墨流し」という伝統的な染色・転写技法でした。
水面に墨を垂らし、油を墨に混ぜていく。水面をゆっくり揺らしたり、息を吹きかけたりしながら、最後に紙を入れる。そうして出来上がる模様は、いくら自分の中での具体的なヴィジョンがあっても、なかなかイメージ通りにはいかない。その「予測不可能な動きを見守るのが楽しい」と語る三雲。
やがて、自分たちの思いばかりぶつけていたのかもしれないと気づいた両親は、改めて寧々に向き合うことになります。
いつも不思議で仕方ないのですが、冷静に考えて自分自身がこどもだった時、先生や親に支配されたかったでしょうか? 大人の思い通りに操られることを望んだり、それを楽しいと思ったりしたでしょうか? 完全にコントロールされるのが、嬉しく幸せと感じたでしょうか?
なぜ親になると、こどもを自分と一体化した”所有物”のように扱おうとするのか? あたかも一心同体のように自分と同じ人間としてコントロールできて当たり前と考える大人の多いこと。「こどものため=自分のため」というあまりにも身勝手な方程式になっていることに気づいていない。否、本当は気づいているけれども、”こどものため”という大義をかざせば、親の責任という名の下の特権でもって制御できるし、制御して然るべきと正当化さえしている。だとすると、大人になるということは、人の気持ちが分からないバカになることを指しているのかもしれないと思えて恐ろしくなります。
人生なんて、そもそも予測不能であって、人それぞれに必然の偶然、偶然の必然が折り重なるもの。思い通りにならない未知なる世界を歩む時、その人らしい生まれ持った”はかり知れない”力が開き、可能性の道があけていくのが醍醐味で、やがて味わい深い経験のミルフィーユになっていく。
昨今の地球環境問題にしろ、教育にしろ、「自然の摂理」を忘れた人間の傲慢さが露呈しているのではないかと感じます。自然を前にして人間はいかに無力であり、コントロールなどできないかを忘れ、すべてを思い通りにできる万能と勘違いしているかのようです。しかも厄介なのは、その勘違いを解くのに大変な困難を極めるということだと思います。
こどもは、だれしも無能なんかじゃない。だれもが制御不能で予測不能な人生をそれぞれに歩んでいるだけです。
ご一読いただきまして、ありがとうございました
それではみなさま、よいあけがたを!
